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ラジオ体操という共感。

最近ワンコの散歩がてら、朝のラジオ体操に参加したりしている。もちろんソーシャルディスタンスを保つために相当離れたところに立つ。かすかに聞こえるラジオ体操第一の音を頼りに、数分間の運動を行なう。何となく日課になりつつある。 特に接点も何も無いのではあるが継続してコミュニティに参加していると、時折お菓子をくださる方がいたり、ワンコの相手をしてくださったりと、人と人がつながっていく感覚にも似ていたりする。その上でお互いが距離を意識していくのだ。 パーソナルスペースという言葉がある。自分自身における他人との距離感。何人からも侵されざるべき場所。サポーターにとってもそうだ。だが、長い時間を共に過ごしていくことで、このパーソナルスペースそのものも共有していくようになる。 たまたま今日、ある写真を見ていて、そんなことを考えていたのだった。セレッソ大阪という意識の共有が可能な物質が存在していることで、僕らはエネルギーを貰いあいながら生きている。まさにそれは「共感」という言葉がしっくりくるのだ。 共感と書くと何だか綺麗事のように聞こえてしまう。正直なところ、そんなものですら超越している感もある。特にセレッソ大阪は2001年、2006年、2014年という三度の降格によって、そのパーソナルスペースが開放されたという気がした。 たかがサポーター。されどサポーター。共同体感覚としてのこの距離感。やはり癒される。しかも面白いのは、それが絶妙なほどに調和が取れていたりする。そしてそれは、何かに突き動かされたのではなく、自分たちの意志が優先されるのだ。 僕がラジオ体操をしている場所の近くに必ず座っているおばあさんがいる。体操することもなく、ただただ見ているだけなのだ。しかしながら、ラジオ体操という共感の観点で見たならば、おばあさんも僕も、もうその一員だ。実に興味深い。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

マフラーはいくらあってもいい。

寒い。寒すぎてついに電気ストーブを引っ張り出してしまった。この前、とある女性に「寒いのと暑いのではどっちのほうが好き?」と聞かれた。「どっちも受け付けない」と返答したところ「わがままな身体ですねー」と一笑されてしまった。 身体も性格もわがままな僕としては、なにより冬が辛いと感じる。そして、そんな冬のサッカー観戦は心が折れそうなくらいに冷える。いくら重装備でも、いくらカイロを持っていたとしてもだ。しかしながらスタジアムに行かない選択はない。 寒さ対策にはいくつかある。そのなかにマフラーが存在している。首に巻き付けると、少なくとも上からの冷えに対してこうかをしめす。サッカーとマフラーは切っても切れないものでもあり、また、重要なファクターともなり得るものなのだ。 今となっては一体何枚あるのかというくらい部屋には無造作に置かれているマフラー。試合のときにも「今日はどれを付けていこうか。やはりネバーストップか、それともボーダーか」なんていう激しいひとりごとを繰り返しながら決めていく。 マフラーはいくらあってもいい。なんだかM-1王者のような口ぶりだが、オフィシャルやサポーターオリジナルなど見ているだけで本当にそう思える。自分なりのマフラーとの付き合い方を見つめ直す季節の到来。マフラーだけに”首ったけ”だ。 そうこう書いていたら、メガストアがあんなことになるというニュースが飛び込んできた。またマフラーを買える場所がひとつ無くなる。だが安心して欲しい。鶴ヶ丘ワンダーランドでは、冬のお供が来店を待っている。あら、このネーミング。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※サッカーショップ蹴球堂BASE店は こちら

蹴球堂LINEアカウントの悲劇。

サッカーショップ蹴球堂ではかなり多くのソーシャルネットワークサービスを利用している。そのなかでもメインとしてはフェイスブックが大半なのではあるが、実はビジネス的な話になると、LINEをもっとも活用しているような気がしている。 セレ女 や ULTRAS といったLINEスタンプを販売しているクリエイターズマーケット、そしてLINE for Businessでお客様にサービス提供しているのだが、その LINEアカウント で少々トラブルが発生していた。そんな悲劇について書いていきたい。 とは言ってもそれほど大した話でもないのだが。それはある休日のことだった。クリエイターズマーケットからメールが届いていたため、管理コンソールにログインしようとしたところ、画面には認証コードの4桁が表示されている状況だった、 この画面久々に見たなーとか思い、昨年新たに購入したシャープのAQUOSの画面を開いてLINEアプリをタップするもログイン画面。しまった。てっきり引き継ぎをしているつもりだったが、まったくもってクリーンな状況になってしまった。 もちろん旧端末の回線は解約され、さらには初期化されておりどうしようもない状況。そして僕はあの歌のように途方に暮れた。とにかくLINEサポートセンターに連絡を入れることにした。フォームの入力仕様が難しい。少なくも僕には厳しい。 何とか申請ができたのだが、返信を受けるも、僕の問題だが意図がなかなか伝わらない。やはり語彙力は必要だ。何度かメールのやりとり(情報を何でも残しておく癖がここで役に立った)をすることで、無事、解決方法を教えていただいた。 かれこれ数週間経って、ようやくLINEビジネス関連が復帰したのだった。これは何かの戒めかもしれない。もっと使えよと誰かが言っているのかもしれない。そう思った僕は、これから先このLINEアカウントをフル活用していこうと心に誓った。 気持ちの切り替えと同時に、古いバナーを変えてみた。自分自身の怠慢が最大の課題ではある。しかしながら、ログインが緩すぎるのも問題であり、厳しすぎるのも同様のような気がした。だが、他人は変えられない。自分が変わるのが先だ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

背番号10とわらび餅の接点とは。

鎌倉で買ってきたお土産のわらび餅が美味過ぎて止まらない。夜にいただいた鮪しらす丼といい、やはり旅の醍醐味は「食」だ。しかしながら食べ過ぎには注意する必要が僕にはある。何と言っても近々に健康診断が待っている身でもあるのだ。 この健康診断。今年はどれくらいの箇所に異常があるのだろうか。今年に入ってからほぼアルコールは摂取しておらず、食べ物もかなり気を遣って生活している。最近ではアイスクリームの量も減っており、なかなかの健康体ではあると感じる。 だが、もちろんのこと加齢も相まって、日に日に衰えを実感する。そんななかで清武弘嗣選手の このインタビュー を見た。何故だか「引退」という言葉に対して寂しい気持ちと、不謹慎だがホッとしてしまった自分が共存してしまっているのだ。 そんな清武選手がフルタイム出場している姿をテレビで見ながら、My妻と「よかったよかった」を繰り返している。ここ数年間の怪我の状況からすると、ひとりのセレッソファンとして、正直なところ上位争いしていることよりも素直に嬉しい。 同様に「(怪我すんなよ)」とまるで自分の身体かのように、心の中で祈りながらの毎試合でもある。これこそ「生活の中にセレッソ大阪がある」のか、それとも「セレッソ大阪が生活なのか」という、偽らざる気持ちと言えるのかもしれない。 そうそう自分自身の健康の件。何とか食べ物だけは自分の好きなものを満足に食べてそして死んでいきたいなと思う。コロナ禍で食生活だけでなく生活リズムも今や「純粋無垢」になっているかもだ。そう思いながら頬張るわらび餅は絶品だった。 この背番号10とわらび餅に接点はほぼ無い。だが、このわらび餅の弾力性と清武選手のしなやかなプレイが重なって見えてきたりしないだろうか。・・・しないか(笑)でもまあ、一言で表すならば「どっちもうまい」。お後がよろしいようで。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※いやこれはマジで美味い。

旅をしなくちゃならない理由ができた。

何年かぶりに鎌倉を訪れた。前回はプライベートだったが今回はがっつりビジネスだった。だが、生まれて初めて江ノ電に乗ることができて、とても感激している。先頭車両の一番前の席に陣取ってまるで子供のようにはしゃぎ過ぎてしまった。 やはり僕は電車好きなのだなと、改めて思わされた。加えて「路面を走る」という興奮が止まらない環境にも身震いする。大阪にも阪堺電車があるのだが、趣も風景もまったく違ってみえる。当たり前だ。それぞれの良さというものが存在する。 途中の由比ヶ浜駅で降車する。朝が早かったのと日曜日なので人もまばらだろうなと高をくくっていた。しかしながら海まで出てみると、サーファー、サーファー、サーファー。三度言う。ものすごい数のサーファーさんが水の上で漂っている。 そんな高人口密度な海を右手に見ながら進み、目的地へと僕は向かった。砂浜に降り、トンネルをくぐった先にその場所は存在する。「 Le Garage Kamakura 」。そこは素晴らしい風景と多機能性を備えた、正に「最高のシリアスプレイな場」だ。 昨日初めて来た時とは違って見える。電車に揺られ、潮風を浴びて、さらに新たな気づきも加わり印象が変わっていく。所詮、僕の物事の捉え方など移ろいやすいもの(良い意味で)でもあるし、そしてそれは直感を信じるものだけが得られる。 そんな、鎌倉および江ノ島の夢のような旅が終わり、一日ぶりに ワンコと別の旅に出ている(何を偉そうに)。 そういやこの地域には多くのワンコも生息していたなとひとりと一匹が笑みを浮かべて歩いているのを人に見られないよう注意した。 実のところひょんなことからまた鎌倉に行く、いや、わずかばかりだがJリーグに関わる者としてはこの旅をしなくちゃならない理由ができたように思える。出会いはいつ、なんどき、どこにあるのかなど分からない。まあ旅とはそういうものだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

今、ここにある「個」。

一対一の局面で逃げずに戦えるか否かが試合の鍵になることも多い。何となくチームスポーツの場合、グループとグループの勝負に思えてしまいがちだが、日本代表での議論のとおり、最後の最後は一人一人の強さ。まさに「個」の戦いになる。 「個」の戦いと口にした途端に言われてしまうのは、独りよがりだとかチームの和を乱す張本人的な言葉のオンパレードだ。だが僕的には、この、如何に対面の選手との一対一に勝てるかというところに、すべての要素が含まれている気がする。 ピッチには常に11の「個」が存在しており、それら同士がつながって(コネクトされて)いくことによって一体化を行なっていく。つながりかたはどうなのか。強いのか弱いのか。高いのか低いのか、距離はあるのか、それともすぐそばなのか。 だからこそ「個」の集合体がチームと呼べるのではないのだろうか。「個」は、すべての局面においての必要な要素でもある。そんな、魅力的でもあり、且つ、最も大事な「個」というものを、僕は出来得る限り追求していきたいと思っている。 今、レゴ®シリアスプレイ®の勉強会にこの二日間参加している。この勉強会での自分自身のテーマも、何の因果か「個」だ。何とも、めぐり合わせとは本当に突然訪れるものだ。素敵な出会いも相まって気力が高まっているのは言うまでもない。 そう言えばこの前読んだ記事に「三国志の関羽雲長がそれほど一騎討ちをしていなかった」という衝撃的な内容が書かれていた。確かにこの場合、三国志演義と正史のあいだにはギャップがあることは常に言われ続けてきたので、納得感もある。 そういう意味でもこの「個」というものは、長い道の先に起こる出来事なのではなく、今まさに、そこに、瞬間的に存在しているものなのだ。常に、一対一の局面で逃げずに戦える気持ちを忘れずにいたい。あと一日、まだ一日あるのが幸いだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

リーダーは大変だ。

強いチームコミュニケーションはやはり素晴らしい。試合中にはいくつもの場面で話し合ったりしている。モニタ越しでもその対話の状況が見えてくる。ピッチに立っている全員の言葉が次々に繋がっていき、不確実性の中で結果を示していく。 そんな、コミュニケーションのひとつである会議はどうだろう。ある方に聞けばほぼ必要無いと言うし、ある方に聞けばやはり重要だという声も聞こえてくる。いるかいらないかの話をすると不毛になりそうなのだが、今日は少し書いてみたい。 「人には二種類しかいない」とあの御方は話しておられるが同様に組織の会議でも「話す人」と「話さない人」の二種類が存在している。だがこの二項対立のように見える状況が問題だ。その理由は、話がすんなり決まりすぎる、ということだ。 「鶴の一声」がすべてを決めるのならば、何のための会議なのかとなってくる。もちろん、何かを選択する瞬間は誰かが責任を持たなければならない。だが、それ以外のケースはすべて「話はすんなり決まらない」会議と言っても過言ではない。 ただ、このような会議になったら、言葉がシャワーのように出る組織と途端に言葉が根詰まりする組織という二種類に分けられていく。問題は後者のほうだ。当然ながら考えや思いはあるものの、言葉にするのが難しいと、いう場面も多々ある。 だから僕はレゴ®︎シリアスプレイ®︎のメソッドで自部門の会議やミーティングを置き換えてみることを薦めている。マネジメントやリーダーが、このような「話はすんなり決まらない」会議で疲弊していくのを見ているのが心苦しいのもあるのだ。 自分自身も同じような経験も多かったが、様々な場面でこのメソッドを利用することで、心が安らいでいく感覚を得た。マネジメントもリーダーもすべての答えを持っているわけでもないのに、何故か何でも知っていることが前提になっている。 それができる人間だけにリーダーの素質があるわけでもない。リーダーは、すべての言葉から道を照らす役目なのであって、自分が何でも決める役目ではない。その、すべての言葉を生み出す、見つけ出す、そして閃くを僕はお手伝いしていく。 我らのキャプテンも同じように悩んでいるのだろう。すべてにおいて不確実に見えるなかで、どのようにして個性やそこから生まれてくる言葉に向き合うのだろうか。どんな世界もリーダーは大変だ。大変さを共有できればな、と思ったりする...