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2018年に見た映画でも。【後ヘーン】

こんな年の瀬にバナナかよ、もとい、映画かよ、とお叱りを受けるかもしれないが、「後ヘーン」があると前回書いてしまったばっかりに少々。内容的に是非はともかく、今回も好き勝手に選んでいくことになる。2018年の締めくくりとして許してもらえれば本望。

5.わがチーム、墜落事故からの復活
コパ・スダメリカーナの決勝ファーストレグへ向かう途中のシャペコエンセに襲った悲劇を描いたドキュメンタリー。この映画を見る前、観た後にもケンペス選手のことが頭を過ったセレッソファンは僕だけでは無いはず。クラブ再生というキーワードが心に残る。


6.ミッション・インポッシブル フォールアウト
いや、今年の一番かも知れない。このシリーズは欠かさず見ているが、映画が終わっても興奮が本当に冷めなかった。トム・クルーズの格好良さに「いくつやねん」と突っ込みを入れたくなるくらいの気持ち。続編はもう難しいのかも知れないが期待をしている。


7.ボヘミアン・ラプソディ
これも甲乙付けがたいくらいのすごい作品だったと思う。ちょうど80年代に洋楽を聴き始めた者としては、懐かしさと共にこの時代のアーティストの儚さというものも感じられて少し寂しい気持ちにもなったのが今でも身体の中に残っている。応援上映に行きたいわ。


8.クライング・フリー・セックス
わずか15分というランチタイム上映にも関わらず、昼間に見て本当に良いのかという自分自身の葛藤との戦いを巻き起こした映画。馬鹿馬鹿しさでは史上最強レベル。監督さん、俳優さんとも仲良くなり、勢いからか続編にもクラウドファンディングしてしまった。


ということで2018年は非常に多くの映画と出会えて幸せな一年となった。2019年も更に素晴らしい名作の数々をこの眼で見られると信じて、時間の許す限り映画館へ足を運びたいと思う。来年こそはあの監督の映画を見たかったが、しばらくはお預けになりそうかな。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。 雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。 「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか? 思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。 良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。 そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。 ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。 いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。 宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。 NEVER STOP

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