激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
5月27日である。いつまで語るのかと言われようともひたすらこの日を伝え続けていく。クラブも忘れていく、その頃を知っている選手は少なくなる、ファンもサポーターも記憶から薄れていくのが運命なのではあるが、だからこそ語り継ぐ宿命を背負う人も必要である。
先日「次の店は何処に出す予定?」という質問をされ答えに窮した。まだまだ何も決まっていない状況のなか残念な気持ちよりも逆に、待ってくださっている方に向けての申し訳無さが先にある。お茶を濁す形にはなってしまい本当に心苦しい会話になってしまったのだった。
ひとつひとつ見ると点でしか無い歴史。その点を繋ぎ合わせる役目が、クラブだけしか無いのではとても残念に思える。とは言いながら僕らも一年に一度ずつ歳を取っていくのだ。人生観も生き方も、そして何よりセレッソ大阪との関わり方も変わっていってしまうのだ。
2000年5月27日と2000年5月28日。REMEMBERとRESTART。僕らはこの忘れられない二日間をふたつの点と見なし、繋ぐことを決意した。当時の話でもある。デザインは洗練されていないし何よりセンスも無い。しかしながらその考えは間違っていなかったと今でも言える。
流れていく点と点を線にすること。それがクラブ創設時から関わってきた人間、関わっていく人間が必要とされる宿命でもある。様々な点と点を結ぶために次の手を考えているが、寄る年波には勝てず動けていないのも事実。「オラに元気玉をわけてくれ」と叫ぶとするか。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
先日「次の店は何処に出す予定?」という質問をされ答えに窮した。まだまだ何も決まっていない状況のなか残念な気持ちよりも逆に、待ってくださっている方に向けての申し訳無さが先にある。お茶を濁す形にはなってしまい本当に心苦しい会話になってしまったのだった。
ひとつひとつ見ると点でしか無い歴史。その点を繋ぎ合わせる役目が、クラブだけしか無いのではとても残念に思える。とは言いながら僕らも一年に一度ずつ歳を取っていくのだ。人生観も生き方も、そして何よりセレッソ大阪との関わり方も変わっていってしまうのだ。
2000年5月27日と2000年5月28日。REMEMBERとRESTART。僕らはこの忘れられない二日間をふたつの点と見なし、繋ぐことを決意した。当時の話でもある。デザインは洗練されていないし何よりセンスも無い。しかしながらその考えは間違っていなかったと今でも言える。
流れていく点と点を線にすること。それがクラブ創設時から関わってきた人間、関わっていく人間が必要とされる宿命でもある。様々な点と点を結ぶために次の手を考えているが、寄る年波には勝てず動けていないのも事実。「オラに元気玉をわけてくれ」と叫ぶとするか。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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