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愛の形は人それぞれ。

「今日、人が集まらないと解散らしい」と映画監督業よりも最近は主演俳優のほうがトレードマークになりつつあるアミーゴから連絡が入った。早く仕事も終え帰宅の途でもありこのあとの予定もないというすべての条件が揃っていた僕は新宿村LIVEへと向かった。

「えんとつ町のプペル」。キングコング西野亮廣氏原作による絵本の舞台を女優アイドル「ピカ☆マイ」が「5日間で1,500人の観客動員」に解散をかけて臨んでいることは聞き知っていた。メンバーの菅原彩香さんもとある映画の関係で知り合ったというご縁でもある。

という背景はありながらも正直言って見に行くかどうかは分からなかった。仕事やその他の予定も含めて優先度はそれほど高めでも無かったし、それこそ舞台というものにあまり興味が無い身でもあった。しかし冒頭のアミーゴからの一言が僕の行動を一変させた。

「これから調整します」僕はそのまま劇場を訪れ拝見してそして色々な意味で泣いた。いや本当に素晴らしかった。原作を読んではいないが描きたい世界観を身体全体で感じることができた。そしてなぜこの舞台に人が集まらないのだろうかと疑問が残ったのだった。

演劇終了後は近所でアミーゴと二人飲む。サッカーの世界でも芸能界の世界でも勿論のことながら「タラレバ」はよろしくないが、「ああだったら」「こうだったら」「あの時こうしていたら」と串カツを頬張りながらグダグダ話し合う。どこかものすごく既視感がある。

例えは良くないが降格が見え始めたサッカークラブの試合を応援に行く心境に近かった。そう考えると劇場の雰囲気に違和感を感じたしもっとやれることがあったのではないかと思ってしまった。それ以上にサッカー界におけるクラブ愛を再認識した瞬間でもあったのだ。

愛の形とは人それぞれである。一度でも愛したのであれば、最後の最後まで気持ちをつなげ続けることも愛であり、自ら身を引くのも愛。ならば僕なら前者を選択する。アミーゴの映画愛を聞いて次の作品が非常に気になっている。この方への僕の愛も半端ないな(笑)

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

あと4回公演があるとのこと。ぜひこちらで。

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