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人とコンピュータの未来は意外と泥臭い?

ITという底無し沼に両足がどっぷりと浸かっている身として、これから迎えるであろう僕らの未来のことについて毎日のように考える。2045年。太平洋戦争終結から100年後。シンギュラリティ(技術的特異点)によって世界が変わってしまうのだろうか。それとも・・・。

このゴールデンウィークで読破した本の中に「オリジン」という作品がある。ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」の作者でもあるダン・ブラウン氏のロバート・ラングドンシリーズ最新作。単行本が苦手な僕は、文庫本になるのを満を持して待っていたのだった。

いつもながらの上中下巻の三冊構成で描かれるミステリー。これまで読んできたシリーズの中でも自分の中で一番しっくりくる内容で本当に驚いている。「進化論」と「人工知能」という謳い文句だけでなく、まるで世界を旅しているような情緒あふれるストーリー。

実に考えさせられるシーンが多く存在しており、自身も是非を問うてしまいそうになる瞬間が多々あった。個人的には懐疑的なところもあるのだが、昨今ではサッカーを含むスポーツにおいてもビデオアシスタントレフェリーなど人とテクノロジーが融合し始めている。

人とコンピュータは融合していくのかそれとも相反関係となっていくのだろうか。便利な世の中はありがたい話だが、人間らしさもそれはそれで愛すべき存在である。ミスしてエラーを起こし困り果て改善しようとする。人が持つそんな泥臭い特権が僕は大好きだ。

余談だがこのロバート・ラングドンシリーズ。面白いのは良いのだが、止まることができずまさに「一気読み」してしまった。頭では解っていても身体が書籍を欲してしまう。これも人の性分、特権だとしたら、学習意欲というものは人もコンピュータも変わらないな。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※「面白く読める技術本」認定、してもいいんじゃないか?

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