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書籍の新たな学び方と楽しみ方。

何故か分からないが、勝利することでこの上なく嬉しくなるチームがJリーグにはいくつか存在する。そんなひとつでもあった今日の試合は見逃し配信で見ることになったため、明日にでも書こうと思っている。それにしても素晴らしい試合展開だったと胸を撫で下ろす。

何故見逃し配信になってしまったかというと、今日「書籍の新たな学び方を模索する」というミーティングにお誘いを受けたからだった。摂氏三十度を超える真夏日のなか、東京大学のある本郷まで行ってきた。引っ越してから初めてこの地を訪れたが思いのほか来やすい。

それより何より僕自身、読むのも聴くのも好きな本大好き人間なのでかなりの勉強にもなった。しかしながらそれ以上に、人様から本好きの印象を持っていただけているのだなと感じることに非常にこそばゆい気持ちになる。感謝しても感謝しきれないくらいだろう。

個人的なルールとして、小説は紙で、ビジネス書はオーディオブックでと原則的に決めていたりするのだが、たとえどんな手法であったとしても、その本を楽しむことがもっとも重要なのだと僕は思う。堅苦しいことは考えず本と向き合うという姿勢が大事なのだろう。

本にはいつもそのような気にさせてくれる力が存在する。正しいか正しくないかは分からないがより良い道を探すための道標を見せてくれたりもする。だから本とは離れられない運命。とは言え楽しみ方は人それぞれ。そんなことを考えながら僕は家路についたのだった。

それにしても、重ね重ねお呼びくださったことに本当に感謝したい。書籍の新たな学び方と楽しみ方を自分自身でもこれから考えたいと思っている。そして多くの方に本と向き合ってもらえるよう個人的にも努力していきたい。読書は義務ではない。自らの選択であると。

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