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歴史を伝える”場”作り。

先日の大阪ダービーの試合終了後、本当に久々だったがI4ゲートへと向かった。不純な目的はともかくとして、その際に某ウルトラなレジェンドと一緒に、とある横断幕を畳んだのだった。「久高魂」。20年前に亡くなったセレッソ大阪レジェンドである久高友雄さんに向けての幕である。

勿論のことながら久高さんを知っているサポーターと知らないサポーターが存在する。歴史の差はどこまで行ったとしても抗いがたい事実である。ここでは自慢や批評を述べたいのではなく、その歴史がどう伝わってどうつながっていくことが僕らセレッソサポーターには必要なのか、だ。

僕は時々心配になる。当初からのオールドサポーター、新しく加わってきたサポーターそしての歴史をつないでいく中間にいるサポーター。この三つ(いやもっと分割できるかもしれないが)のスペースを埋める歴史を、どのようにストーリーとして形作って後世に残していくべきなのか。

歴史を伝える時間が無いのか、歴史を伝える人間がいないのか、それとも歴史を必要とされていないのか。皆目見えていないが、そんな”場”が僕らには必要なのだろうなとつくづく感じた。僕自身かなりサボり過ぎていることを反省しているし、そもそもここはクラブには難しい。多分。

今年のプレミアリーグ開幕戦。リヴァプールの試合をテレビで見ていたところ、大きな幕が映し出された。欧州チャンピオンズリーグ優勝の歴代監督が描かれていた。6名全員を全てのレッズサポーターが知っているかどうか分からないが、若い方々もこの幕を掲げていたのが印象的だった。

初めての戴冠は'76-'77。歴史とはそういうものだ。どのように伝わった結果この幕が出来上がったのかも僕は知る由も無い。伝わる仕組みとクラブの価値は大きくなった。今だからこそ、語る側も聴く側も謙虚になって、歴史を伝える”場”を作っていく必要性というものを強く感じるのだった。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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