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倫敦始末(長文あしからず)。

今回のデンマークの件。まだドキュメントがまとまっていない。考えることもいろいろとあるので書き上がってから報告をしたいと思うが、その前にちょこっとイングランド・ロンドンで足止めを食らったことについて触れておきたい。あらかたフィクション(何故)なのであしからず。

コペンハーゲンにいる頃から台風19号の接近についてのニュースは見ていたし、何名かのアミーゴからも連絡が入っており一応の理解はしていたつもりだった。また、前日の夜には遅延するという連絡が予めJALからEメールで入っており、ある一定の情報としては入手していたのだった。

10月11日07:30。デンマーク・カストルプ空港ブリティッシュ・エアウェイズの窓口でチェックインした際に聞いてはみたが、その反応からは「まあ遅延で大丈夫かなあ」という感想だった。ひとまずロンドンまでは問題ないので、僕を乗せた飛行機はヒースロー空港に向けて飛び立つ。

ロンドン到着後、トランジットだったが一旦イギリスに入国し、そのままJALのカウンターに向かう。当然誰もいなかった。僕は置かれていた電話機を使い連絡したところ、今日はもう何もできないので、何かあればEメールなどをお送りするとのことだった。仕方なくホテルを予約した。

夜。その待望(ある意味絶望?)のEメールが届いた。フライトは更に遅延して、丸一日遅れになるのだという。そうか19:15までは時間があるよなあ、こういう状況だし土曜日だし観光でも行こうかな・・・と甘い夢を描きながら僕は床についた。翌朝の不幸については知る由もなかった。

10月12日07:24。そのEメールが届いた。「欠航のお知らせ」。ある程度の覚悟はしていたものの、それでも欠航の確率は少ないかなと高を括っていた自分が愚かだった。併せて、それだけ日本の状況が厳しいのだなと心配のほうが先に立った。僕はまず、JALの窓口に向かってみることにした。

当然といってはなんだが、カオスだった。大半が日本人だが外国人の方々も混ざっての大混乱をきたしていた。何もこれはJALだけでなく、日本へ降り立つ飛行機の大半が飛ばないのだろうから、世界中ほぼ全ての航空会社カウンターで何らかの事象が起こってに違いないと僕は感じていた。

怒号が飛び交う。何とかしてくれ。仕事に間に合わない。他の便は無いのか・・・。様々な人間模様を横から観察していた。勿論不可抗力によってこのような事態が生まれたのだろうが、JALのスタッフさんは誠心誠意対応していたように見えた。どちらにも悪気は無く正義は存在している。

僕の願い?僕はただデンマーク・カストルプ空港で預けたかばんを返してほしいだけだった。何を隠そう、着替えが無いのだ。僕は自分を恨んだ。もう少し意識が高ければ、少しだけでもリュックに入れていたものの・・・。しかしながら、僕のトランクは無事手元へと帰還したのだった。

まさにロトのよろいを手に入れた勇者のような気分だった。着替えを手にした僕は意気揚々とホテルを予約し、さて帰りの便の調整でもしようかな・・・という気持ちになった訳だが、勇者のようにここから更に過酷な旅が待ち構えていたのだった。航空券を手にするための壮絶な旅が。

まずJALの予約窓口の電話がつながらない。結局3時間待ってようやく話をしたら既に16日まで便が無いとのことだった。ちょっと遅いと感じた僕は、返す刀でエクスペディアで検索する。ある。いくつか便があった。その中のひとつを予約し、僕は無事日本に帰ることが出来たのだった。

今回のロンドンで「備えあれば憂いなし」という言葉を心に感じた。何が起こるか分からないこの世の中で、常に準備をしておくことの大事さに気づいた。そして何かが起こったときに対処できる強い気持ちもある意味重要なのだと思った。ちょっとだけでも持ち合わせがあってよかった。

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