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「この国が好きだ!」。

とある明治維新についての書籍を読んだ。大半「知ってた」内容でもあったのだが、新たな気持ちでもう一度日本の歴史を考えたときに、この江戸から明治への転換期が大変な出来事であると僕は感じている。日本という国が改めて世界の荒海へと船を進めることになったのだと思う。

ここから洋風(言葉は好きではないが)に様変わりしていく日本。変わらないのは人の心だけ・・・というわけにもいかないといった内容だった。が、それでも日本人の中にある歴史を重んじる文化や趣を感じる瞬間が、最近では身の回りでも多くなっていて非常に嬉しい気持ちになる。

先日行なわれた「即位礼正殿の儀」の様子を、テレビの中継で見させていただいた。平成二年の頃をほぼ覚えていないので、正直、今回が初と言ってよいかもしれないこの厳かな儀式を見て、感動という言葉だけでは説明がつかないほどの思いを持ってしまった自分がここにいるのだ。

平安から続いているこの「即位礼正殿の儀」。ご衣装も素晴らしく、行事進行などにも日本という国の美しさが垣間見える。僕は日本に生まれて本当に良かったと思うし、この日本で生きることの意味や日本だからできることの意味を更に意識している。やっぱり僕はこの国が好きだ。

余談ではあるが、祝宴「饗宴の儀」でブルネイ国王がご一緒に出てこられた。今月ひょんな事情でブルネイに立ち寄ったばかりでもあり何だか運命を感じてしまった。世界との距離が縮まった分だけ、より日本の素晴らしさを内外に示すことが必要なのだろうなと感じる次第であった。

 ※雨が上がるとか本当に凄い。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


臥龍(多田 覚) この国が好きだ! 
(3.11 復興支援 応援ソング)
是非聴いてやってくださいな!!

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