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僕のサポーター的考え方。

先週からの繰り返しの話で大変恐縮ではあるのだが、先日のキッズイベントの僕が描いたイメージは「混沌のなかの秩序」。レゴを利用していたこともあって参加させていただいたのではあるが、改めて子供たちのイマジネーションというか感性は素晴らしいのだなと再認識した。

僕のもっとも不得意とする未就学児たちがレゴデュプロで好きなものを作っている。これもまさに「混沌」だ。しかしながらそんなカオスな中にも、子供なりのルールが存在し実にコントロールしている。この才能を活かしてどう大人になっていくか周りのサポートが大事だ。

あまり過保護になってもいけないし放置が過ぎると良くない。サポートとは付かず離れずただし本当に助けて欲しいときに手を差し伸べてあげられる、そんな気持ちがあれば人は育つのだろうと勝手に解釈しているが正しいだろうか。子供が大の苦手な僕が言うのも何なのだが。

サポーターとしても同様だと僕は感じている。歌い続けることが好きでは無かった。もっと試合を見よう、試合の流れを見よう、それからもっと選手たちの表情を見よう。そのうえで今やれる最大限のサポートの声をピッチに向かって発しよう。そんな言葉を常々口にしてきた。

クラブができてサポーターとしても黎明期を越え、今、ゴール裏にはたくさんの方々で埋め尽くされている。当然ながらファンが集まり強くなったセレッソ大阪しか見ていない人も大勢いるだろうが、だからといって歴史を押し売りする気はさらさら無い。そしてその必要もない。

姿形は変えようともDNAは受け継がれている。彼らは試合を読み、選手の息遣いを感じ取り、本当に助けてほしいと願う最善のタイミングで最高のチャントを鳴り響かせる。セレッソ大阪にしかない、いや、セレッソ大阪だからこそ、この戦い方が受け継がれているのであろう。

僕のような人間がもはや彼らに言うことなど何も無い。何かを請われても願い下げだが、若い方々に向けて常にイマジネーションと感性を伝え続けてきたことについては誇れる。長い歴史の中では僕などは点でしかないが、点と点はいつでも繋がる。それもサポートだと僕は思う。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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