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僕は金言を言えない。

調子が思わしくない。風邪っぽいこともあるが身体の節々がとても痛い。とは言え休んで床に臥すほどでもなく仕事はするし犬の散歩にも朝晩欠かさず行く。年齢のせいもあると自分自身に言い聞かせる毎日でもあるのだが、これほど急激に来たのはやはり45を越えてからだ。

親のおかげで子供の頃からスポーツだけは行ってきたおかげで何とかここまで無事生きてこられたが、ここからは老いとの共生を余儀なくされる。いつもお世話になっている先輩方の後ろ姿を、と考えているが思いのほか僕の周りには参考にならないくらいの元気人が多すぎる。

全国を飛び回ることが多いのでその際にも様々なお話をいただいたりするのだが、その言葉のひとつひとつが五臓六腑に沁み渡るくらいの金言だ。若い頃の僕はあまり人を大事にしなかった大馬鹿者だったが、それでも言葉をくれる方々には感謝だけでは足りないと感じている。

さて天皇杯の三回戦。レノファ山口との試合をゴールシーンだけだが視聴した。二発のミドルは見事だったがそれ以上にターンオーバー(というと出場している選手に失礼)のプレーヤーがここ数試合の払拭とまではいかないものの無失点で抑えられたことが非常に嬉しく思う。

試合に出られる選手がいる以上は出場できない選手が存在するのも必然。そんなときにどうすれば良いのか、を常に考えて生きているのだろうな、どうやってモチベーションを保っているのかな、と、この山口戦に出場してた選手を見ていて僕はそう思ってしまったのだった。

僕はそんなプロスポーツ選手の感情に向けてもレゴ®シリアスプレイ®メソッドを実践してみたいと常々考えている。僕はコーチでもなくコンサルタントでもないので難しい局面も多々あるとは思うが、個人個人の内省に導くことはできるはず。たとえ金言は言えなくとも、だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。 雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。 「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか? 思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。 良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。 そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。 ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。 いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。 宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。 NEVER STOP

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