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また旅に出かけるとするか。

九州熊本県。あの地震から三ヶ月後の2016年7月以来か。ロアッソ熊本との試合と被災地を訪れたのを今でも憶えている。今回は時間がなかったので近くまでは行けなかったが、熊本城は今も修復工事中だろうか、赤と白の色をしたクレーンが設置されているのが遠くから見えた。

セレッソ大阪が当時まだJ2にいたことを思い出した。なかなか試合に行けていない時代(いや今もそうだろう)にどうしてもこの試合だけは見たいと思った熊本。その地でレゴ®シリアスプレイ®を行なうことを想像するどころか存在も知らなかった。時間が経つのは思いのほか早い。

多くの方の協力を受けて無事ワークショップも終了。個人のこと、仲間のこと、チームのこと、未来のこと、今できること。レゴで作っていけば行くほど深みが増していく。コンストラクショニムズ、フロー理論、「まずやってみる」思考への転換を中心に前向きになっていく。

仲間の作品を見て感じることを経て、手を使ってものを作ることで自分自身の考えに更に拍車がかかっていく。この感覚は実際に体験してみないと分からないのかも知れない。後づけ、蛇足何でもあり。まずは手を信じて動かしてみる。それは子供がおもちゃで夢中に遊ぶように。

しかしながら大人の僕らは、ただ単に遊ぶだけでなく、眼の前に展開される作品に意味付けることができる。手から発したその言葉の先に原理原則、コアアイデンティティが見えてくるのだ。それぞれの立場を越えたなかから、今回も最高の共有モデルが完成して正直心が震えた。

これから移動し今度はレゴを利用した子供向けのイベントに参加する(大丈夫だろうか)。レゴ、レゴ®シリアスプレイ®が導き出す威力はまだまだこんなもんではない。僕自身まだまだファシリテーターとしてはひよっこでもあるので努力を継続していく。また旅に出かけるとするか。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。 雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。 「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか? 思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。 良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。 そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。 ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。 いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。 宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。 NEVER STOP

「我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん」。

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