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錦糸町でベリーダンス初体験。

雨である。九州ではかなりの災害レベルだともニュースで見る。この地域のアミーゴの無事を祈っている。雨のせいか逆に東京は朝晩の気温がぐっと下がっていて、ハーフパンツなどで散歩に出かけると若干肌寒さを感じる。日本という国の天候気候は実に難しく実に読めない。

そんななかで昨日「THE SILKROAD」なるベリーダンスイベントを訪れて少し日本的感覚から離れてみた。錦糸町に足を踏み入れたのは実に5ヶ月ぶりだ。両国から一駅歩いてみたのだがこの界隈の街並みはかなり変わり果てていた。たった半年足らずなのに時が経つのは実に早い。

SILKROAD Cafeというお店に辿り着く。え?こんなんあったっけ?何時出来たの?と幼く見えるが笑顔がキュートな店員さんに聞いてみたらなんと3年ほど前。本当に?いつもこの前を自転車とか歩いたりしていたよ?僕の観察力とは所詮この程度でしかなかったのかと改めて凹む。

そもそも”踊る”という行為が全く似つかわない僕。ベリーダンスというジャンルはもちろん初体験。食わず嫌いではないのだが正直なところ接点が何も無かったのだ。今回アミーゴからお誘いを受けて赴いたこの地で、何が起こるのかも全く想像がつかないなかイベントが始まる。

うん・・・いやこれすごく良いな。なんだか心を揺さぶられる。なんだか夢を見ているのかな、そんな高揚感で溢れてくる。確かに、飲みながら食べながらダンスを楽しめるのもこのイベントの素晴らしさを更に大きくしている気がする。正直あっという間に至福の3時間が終了した。

とは言え、とてもじゃないが自分自身が踊ることは死ぬまで無さそうだ。とりあえず見て楽しむほうはまだまだいけそうに思えてきた。今回何名かのベリーダンサーさんともお知り合いになることができたので、また機会があれば見てみたい、そう思えるベリーダンス初体験だった。

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