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2019年の大晦日に思う。

大晦日である。2019年は本当に激動の一年であった。今振り返ればよく年末を迎えられたものだと思えるほどの状況だったが、多くの方に支えられて無事にこの場所にいる。一言で表すならば「物事には全て理由がある」。僕の座右の銘でもあるこの言葉がしっくりくると感じている。

またこの一年間、サッカーショップ蹴球堂の新たな店舗場所について様々調査をしてきたが、遂に実現することもなく終わってしまった。”セレッソサポーターのセレッソサポーターによるセレッソサポーターのための”リアル店舗。僕らは未だ苦悩と葛藤の中で生きている気がしている。

そんな中、今年は例年以上に数多くの素晴らしい方々と出会いそしてたくさんの刺激も頂戴した。超絶鈍感なこの僕がその刺激の「真の意味」をしっかりと受け止められているかは不明だが、それでも、少しでも前に進む力として全身を駆け巡っているのではないかと思っているのだ。

早いものでもう五十路となる2020年。明日から始まる来年に向けてどのように目標を立てていくのか。元来いい加減な人間としては、それほど明確に何かを考えているわけでもない。家族が幸せで、セレッソ大阪が良い成績で、アミーゴに幸福が訪れてくれればそれで良いかとも思う。

ふたつほど訂正がある。僕のタスクアプリには「死ぬまでに必ず行きたいところ」というリストが存在する。詳細は割愛するが、2020年はここに現存する二十箇所のいくつかへ訪れることができればそれで良い。あと、できれば、生活できるだけのほんの僅かの買い物券と金属のコイン。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP
We will always be here,ever.
Remember, the Force will be with you, always.

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