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正解の中から正解を選ぶ。

ファシリテーターの大事なところ。すべてが正解だった場合に、より正しい道に進んでもらうためにできること。今日主催した勉強会で話した内容の肝。そこにLEGOが加わると更に活性化すること。実際に言うは易く行うは難しだが、常に追い求めていかなければならないと思っている。

25年の中でどのチームが一番好きかと言われてもなかなか決めきれない。すべてが正解というかすべてが素晴らしかった。しかしながら、実のところ1999年のセレッソ大阪が、好きなチームのひとつであることはあまり隠していない事実だ。バランスだけでなく豪快さがそこにはあった。

レネ・デザイエレ監督の元躍進したこの1999年。なにせ濃いメンバー構成だったなと今でも感じる。森島さん西澤さんはともかく、黄善洪さん、盧廷潤さんといった韓国代表選手。それ以外にも数多くのよだれが出そうな状況だった。考えてみたらシーズンの途中で堀池さん来るとか。

前年を踏襲した攻撃的サッカーが花開いた形だ。その中でも印象に残っている試合が9月11日の大阪ダービーマッチ。今ではちょっと考えられない長居に10,000人くらいしか集められなかった時期。それでも試合はとても素晴らしい結果(4-1)で、すべての面においてパーフェクトだった。

何点目だったか完全に忘れたのだが「北陽のマラドーナ」西谷正也さんが現ガンバ大阪監督の宮本恒靖さんをキリキリ舞いさせたシーンは圧巻だった。この頃のセレッソ大阪の攻撃は全部正解に近かった。どんな形からでもゴールが奪えると選手もサポーターも信じ切っていたのだった。

もちろん忘れてはならないのはセレッソ大阪にとっての初めてのタイトル。そして、久高友雄さんだ。大阪ダービーの二週間後に行なわれたサンフレッチェ広島戦がこの年のすべてを物語っている。僕らのセレッソ大阪が今ここにあることを、最も噛み締めた年であったと非常に感じる。

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