スキップしてメイン コンテンツに移動

ペニャロール戦のフラッグで初心に返ってみる。

4月、という気持ちはほとんどない。なんだか慌ただしい毎日(と言ってもこの二日)を過ごしている。OITOも蹴球堂も準備がまだまだな上、期待とは裏腹に少々不安も先立ってきている。Jリーグのスタートも、先日の発表より更に遅れるのだろう。それでも手を動かしていないと落ち着かない。

以前から、体温を測り、血圧を測り、体重を測ってきた。更には食べたものなども登録している。そのおかげというとおこがましいが、測ることへの抵抗感もなく、ただひたすら測り続けている毎日が苦痛ではない。少しの変化も見逃さず、記録していくのは本当に大変だがやり続けていく。

ほぼ自粛を行なっている僕でも感染のリスクが皆無だとは絶対に言えない。自分が感染するよりも「うつしたくない」という思いのほうが大きい。注射により花粉は防げているが、常にマスクは付けるようにしている。「自分が良ければいい」ではこの状況は一生変わらないような気がする。

ついに、というか、我らがセレッソ大阪の選手にも新型コロナウイルスの感染者が出てしまった。当然のことながらクラブは活動休止になっている。今、誰しもが被害者になり加害者になり得る。僕自身もコロナ疲れが目に見えてきているが、若い方々にいたってはもっと感じているのだろう。

首都ロックダウンの可能性も現実味を帯びてきた。この前見たテレビでは「感染率よりも死亡率が重要」とも話しがされていた。起こる経済損失の大きさが影響しているのだろう。首都封鎖が起こってもこのまま自粛ムードが続いても、先の見えない状況自体が最も心折れそうになってしまう。

セレッソ大阪は最短でも11日から練習再開だ。まずは全員で感染の脅威を乗り越えていければと思っている。ひとりひとりの自覚。それがもっと重要になってくる(いや既にそうなっている)だろう。クラブのスタートとなったこのフラッグを貼っとく。まずは、しっかりと初心に返ってみたい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP