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第二だからこその。

サポーターの中にも同期や同い年なんていうカテゴリーも存在しており、時折同年の生まれと知ったりしたら、より仲良くなったりする。言ってしまえばJリーグのサポーターは地域コミュニティと呼べるのだろう。人に出会い、絆が深まり、そして一緒に育っていく。今の時代に貴重な存在だ。

しかしながらサポーターに対しての偏見や固定観念みたいなものが存在しているのを聞くと、まだまだ小さなコミュニティに終始していたのだろうなと反省する部分も非常に多かった。先日も色々と話をしていて「第○世代」とか漫才界みたいだと笑いあったのを思い出して一人で笑っている。

日韓ワールドカップイヤーの2002年。かれこれ18年も経っているのかと驚きが隠せないのだが、このシーズンのセレッソ大阪はJ2が戦いの場だった。調子に乗って全勝優勝みたいな空気があったが、そんなものが実現できるはずもなく、厳しいシーズンを過ごすことになったのは周知の事実だ。

そもそも、ホーム・アンド・アウェイで4試合という同一相手との試合数は身体に良くない。ワールドカップでエース三人が抜ける時期もあったりしたが、それでも多くの選手が非常に素晴らしいプレーでチームを勝利に導き続けていたのを記憶している。44試合で25勝12分けは上々だと思う。

開幕戦の6ゴールやJ1復帰を勝ち取ったアルビレックス新潟戦の印象が非常に残っているだろう。だが僕はやはり、いつも書いている「日本代表戦とJリーグが同日に隣同士のスタジアムで行なわれた」3月21日が一番。今ではとてもじゃないが考えられないような日程の組み方だったように思える。

長居第二陸上競技場での試合が多かった。やはりオールドファンにとって第二は3つのスタジアムの中でも愛着がかなりある。見づらいし遠いし屋根もない。しかしながらノスタルジーを感じずにはいられない。良いことも悪いこともいっぱい詰まったこの第二から僕らはスタートしたのだから。

実力と運が交わり合ってJ1叶った2002年は、サポーターの若返りも生んだのではないかと感じている。別にベテランが去ったわけでも若手の台頭があったわけでも無かったのだろうが、この年になぜかそんなイメージを持っている。もしかすると、第二がそんな気持ちを作り出したのだろうか。

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