スキップしてメイン コンテンツに移動

4月30日のキックオフ。

今日少々ショックなことが起こった。やはり別れは悲しいものだと改めて思う。人が人と何かを創っていくというのはそれだけ多くの困難が伴う。かのアルフレッド・アドラー先生も問題のすべては人間関係だと語られているように、まさしくこれこそが「産みの苦しみ」ってやつだろう。

別の言い方をするならば、避けて通れない道とでもいうのだろうか、非常に意味深いものを感じている。純粋に夢だけを追い求めて走っていられた子供の頃から、ひとつずつ歳を取るたびに現実と向き合うことになり、周りから色んなものを見せつけられた末、今に至っているという事実。

神様はなんて厳しい道ばかりの人生を僕らに歩ませるのか、と考えられるのなら、まだましなほうかもしれない。とはいえ、その時期も過ぎ、死までのカウントダウンをし始める頃には何か吹っ切れているのも紛れもない事実だ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る、の言葉通りだ。

そうなると、言わば吹っ切れている状況になってくる。やりたいことを真にやることができるようになる。もちろんその分身体にも異常をきたすかもしれないし、場合によっては命の保証もなくなる可能性もある。だが、何もしないで平穏な暮らしができるほど、この世の中は甘くはない。

いまユヴァル・ノア・ハラリ氏の「21Lessons」を読んでいる。今、変わらなければ、生き残ることすらままならない時代がやってくるかもしれないのだ。その時代で生き残れる能力を持ち合わせているか、ではなく、「必ず生き残るのだ」という強い意志を示さなくてはいけないのだろう。

そして、そうするには三つの要素「健康」「学習意欲」「行動すること」が必要となってくるのだと僕は思っている。何より身体。また、常に学ぶことの大事さを意識する。しかもそれらを評論家になることなく実践していくことが必要。この歳になって初めて、一日が短すぎると思った。

そんな今日、4月30日は我らがpiccolo grande森島寛晃社長の誕生日でもある。この日に慎ましくキックオフの笛を吹いた僕らは、まだまだ人が集まれるような状況ではないのだが、この日だからこそ意味を成す。小さな小さな一歩でも構わない。死ぬまで歩き続けられれば、それは天命だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP