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毎週末にJリーグで戦える喜びを。

セレッソ大阪は初物に弱いというジンクスができあがったのはいつ頃なのだろう、と考え込んでしまう日がある。昇格クラブに敗れたり初めてJクラブと戦うというチームに敗れたりと本当に弱い。「獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす」と言われるが、なかなか上手くいかないのも本音だ。

1995年はセレッソ大阪にとってJリーグで戦う初めての年であった。ヤンマーディーゼルサッカー部の栄光は輝かしいものがあったが、やはり後発であったことは否めず、当初からかなり気後れしていたような気も、今となったら感じてしまう。たかが二年、されど、とてつもなく大きな二年。

前年には天皇杯を含めていくつかのJリーグクラブと試合をしていた(ナビスコカップにも出ていたこと何故だか忘れていた)が、クラブも選手もサポーターもまだまだヒヨッコだったのだろう。事実、JFL優勝と天皇杯の準優勝で相当浮かれていたのは間違いない。通用すると思い込んでいた。

そんな1995年の印象といえばJ初戦のサンフレッチェ広島戦から開幕三連勝の第3節。たしか草薙で行なわれた清水エスパルス戦だ。ボールが見えなかったとアミーゴから聞いた大雨の中の試合。僕は現地に行けなかったが、仕事終わりのパブリックビューイングだったことをとても覚えている。

森島社長がJリーグ初ゴールを決めたこの試合を含めて、Jリーグの層の厚さを思い知ると同時に、やれるかもしれないという淡い期待が入り混じった年だったように思える。何人かの選手はトップレベルに入ってやれていたし、僕らは毎週末にJリーグで戦える喜びを味わっていたようだった。

併せて、初めての大阪ダービー(もちろん勝利したわけだが)が5月3日。今年は5月2日の予定だった。新型ウイルスの関係で開催がなくなってしまったことは非常に残念でもあるが、僕らのサッカー自体が失われたわけではない。サポーター全員の力でなんとか週末にサッカーを取り戻したい。

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