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夜行電車で行くアウェイ。

僕は電車が結構好きだ。と言っても姿形がとか写真を撮ったりするほうではなく、ゆったりと揺られてしばらく乗っている時間が好きなのだ。電車の中で本を読むあの感覚。時々船を漕ぐのではあるが、なんだか不思議と自分だけの空間ができているような、そんな気持ちにさえなってしまう。

そんな僕ではあるが、電車の中でビジネス本を読むこと、最近ではまず無い。たいていは小説ものである。できればその優雅な空間を空想の世界で埋め尽くしたい気分になってくる。そんな思いがなぜだか抑えきれなくなってしまう。電車はそんな魔力を持っているなといつも感じているのだ。

さて1996年の思い出。この年は西澤明訓さんが日本に帰ってきたりパウロ・エミリオ監督から楚輪さんに変わったりした。Jリーグが1シーズン制になったのもこの1996年が最初だったはず。Jリーグ、ナビスコカップ含めて、もちろん成績はそれほどでもなかったが多くの懐かしいシーンがある。

最近のこのニュースでグーガのことを思い出したが、そういや1996年だったのだな。各国で得点王を獲得し鳴り物入りだったがなかなか馴染めなかったこのブラジル人に目茶苦茶期待していたのが昨日のようだ(遠い目)。今でも最高の外国人のひとり、マルキーニョスが去ったのもこの年だ。

そんな、想い出がいっぱい(H2O)な1996年でなぜか鮮烈な記憶が残っているのがリーグでもカップ戦でもなく天皇杯。栃木で行なわれた浦和レッズの試合にどうしたのか電車で行こうということになり、今では定期便がなくなった(らしい)「ムーンライトながら」で一路向かったのだった。

みんなで夜行列車に揺られ、楽しい思い(大半は寝ていたが)とは裏腹に、浦和レッズにボコボコにされ(またかよ)、失意の中、新幹線で帰ったこと。まだまだ若いし無茶ができた頃でもあったなと今ではとても懐かしい。しかしながら深夜急行で行くアウェイの旅もそれはそれで乙なもの。

経済的に豊かになってしまうとそんな無茶がなかなかできなくなってくる。それでも、時々夜行電車でアウェイに行くなんていう夢を見たりする。身体が欲しているのかもしれないし、それはただの幻想なのかもしれない。まだまだ空想の世界をリアルに楽しんでいたい表れなのかもしれない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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