オンライン会議の準備をしている。狭い部屋でもあるのでそれほど気にしなくてもいいとは思うのだが、それでも少しでもセレッソ色を出したいなと思うとこだわりが出てきてしまう。こだわりが強すぎると逆にうまくいかないケースもあったりするのでやはり僕らしくほどほどが良い。
今回は1997年ということで。この年は名将レヴィー・クルピのセレッソ大阪での記念すべき第一回目の采配である。レヴィーとうちのクラブとの相性は言わずもがなだが、1997年は少し早すぎたと言わざるを得ない。シーズン通して16勝16敗。なんとも言えない一年でもあったと感じる。
実はこの1997年は、とても記憶に残る試合の宝庫だ。前にも書いた京都パープルサンガ戦や平塚での4-5というサッカーとは思えないスコア(いやもう今の時代、この程度の点数では驚きもしないだろう)もあったりと、本当に真剣に前向きにそして悩みも多く抱えながらの一年間だった。
また、1997年はちょうどフランスワールドカップ予選という大事な一年だった。最終予選がセントラル方式からホーム・アンド・アウェーに変わったこともあり、リーグ戦との日程もかなり過密になりがちになっていた。体力があったから良かったものの今ではこんな無茶はできない。
その最たる例が9月27日から28日。土曜日に大分でサンフレッチェ広島と試合をしてからの、日曜日、東京に移動しての国立競技場での日韓戦というありさま。セレッソ大阪は勝利したが韓国にホームで敗れる瞬間を目の当たりにしてしまった。しかも、様々ショックな出来事もあった。
日曜日の夜に国立で試合をして、月曜の朝には大阪で仕事をするというルーティンが板についていた。それでもなんだかそれが自分たちの使命のように思えてひた走っていたような気もする。そんななかで一番の思い出は長崎。天皇杯のジュビロ磐田戦。若気の至り今ここに・・・だな。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
今回は1997年ということで。この年は名将レヴィー・クルピのセレッソ大阪での記念すべき第一回目の采配である。レヴィーとうちのクラブとの相性は言わずもがなだが、1997年は少し早すぎたと言わざるを得ない。シーズン通して16勝16敗。なんとも言えない一年でもあったと感じる。
実はこの1997年は、とても記憶に残る試合の宝庫だ。前にも書いた京都パープルサンガ戦や平塚での4-5というサッカーとは思えないスコア(いやもう今の時代、この程度の点数では驚きもしないだろう)もあったりと、本当に真剣に前向きにそして悩みも多く抱えながらの一年間だった。
また、1997年はちょうどフランスワールドカップ予選という大事な一年だった。最終予選がセントラル方式からホーム・アンド・アウェーに変わったこともあり、リーグ戦との日程もかなり過密になりがちになっていた。体力があったから良かったものの今ではこんな無茶はできない。
その最たる例が9月27日から28日。土曜日に大分でサンフレッチェ広島と試合をしてからの、日曜日、東京に移動しての国立競技場での日韓戦というありさま。セレッソ大阪は勝利したが韓国にホームで敗れる瞬間を目の当たりにしてしまった。しかも、様々ショックな出来事もあった。
日曜日の夜に国立で試合をして、月曜の朝には大阪で仕事をするというルーティンが板についていた。それでもなんだかそれが自分たちの使命のように思えてひた走っていたような気もする。そんななかで一番の思い出は長崎。天皇杯のジュビロ磐田戦。若気の至り今ここに・・・だな。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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