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ドラマに学ぶ「選択」の重さ。

「黒書院の六兵衛」を見ている。WOWOW制作のこの幕末から明治にかけての時代背景のドラマから感じるのは何とも言えない孤独さ。先日も書いたが「日本人とはなにか」を考えさせられる。僕らはもっと歴史から学ばなければならないと気づかせてもらえるだけでもありがたいのである。

何事も、どちらが正しくてどちらが間違い、という白黒をつけるだけですべてが上手くときばかりではない。どちらも正しいという場合に人は「選択」という瞬間を突きつけられる。「黒書院の六兵衛」でいえば御三家である尾張徳川家が幕府につくか新政府につくかというのと同じだろう。

現代においてもそんなシーンがしこたまある。いい大人でも決断する心が鈍り「選択」の狭間で揺れ動いてしまう。社会に出て30年以上経つが未だに時間を要する決断が何度も存在する。その中で持つべきなのはやはり「自分はなぜこれを選ぶのか」という確固たる気持ちなのかもしれない。

現代と同じようなイメージのある幕末の動乱期。日本人の誇りというものが様々な形を変えて現れていたこの時代。すべての「選択」が正しいなかで模索を続けてくれたおかげで今があると思えば、頭を使いこの先に見える何かを信じてまだまだ進むしかない。明けない夜は決してないのだ。

残り二話くらいになった。幕末系では少し異質な、比較的動きの少ないこのドラマから学ぶものは非常に多い気がする。実は見る少し前に小説を購入していたのだった。本好きの僕としてはまずこちらから入ったほうが良かったかなとも感じるが、たぶんどちらも正しい。ただし後の祭りだ。

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