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「終わりの見えない不安」。今やるべき蜂起。

すっかり忘れていた。2007年から東京に来て14年目に入る。また、墨田区から中野区へ越してちょうど一年。早いのか遅いのかもうそんなことすら思わなくなってしまった。身も心も東京の人になったわけではないが、住めば都という言葉もあるとおり、なかなか良い街だなと感じている。

とはいえ今、東京はかなりの状況に陥っている。人が多い分、感染の速度も速い。幸いにも身の回りに感染者がいないが油断はできない。このウイルスは約二週間後に発症するので、今自分がどうなっているのかすら見分けもつかない。なんだか非常に重苦しい空気が蔓延しているようだ。

考えてみれば仕事をしていても重苦しさのせいで手が止まってしまう。今までは途中途中でサッカーが見れたから良かったのだが、ストレスフルを脱する楽しみたちが手のひらからこぼれてしまっている。だが僕にはもうひとつの解消方法が残っていた。それが「幕末」というジャンル。

終わりの見えない状況はこの幕末期にも漂っていた。人々の心うちも不安でいっぱいになっていく。明治維新の原動力がこの「終わりの見えない不安」という要素だけでは決して無いのだが、人間はどうしても「先行き」にかなりのウェイトを置いてしまう生き物だ。今、この時代も同様だ。

大阪には幕末の史跡がそれほどない。それでもそこここに動乱期の爪痕が残っている。大阪城、天保山、四天王寺。鳥羽伏見の戦い後は主戦場が関東などに移っていく。終わりの見えない不安という点で見れば、少し遡るが「大塩平八郎の乱」か。いつの時代も見えてくるのは「政治と困窮」。

新政府が樹立して明治に入っていくわけだが、まずは「終わりの見えない不安」の払拭に力を入れたせいかかなり逼迫した状態になった。だが、その後に見せた日本の底力は、終わりが見えて少しずつでも未来に光が当たったからだ、と僕は思う。今、その光を、僕らは見せられるだろうか。

やはり歴史は面白い。幕末期案件にも関わらず「大塩平八郎の乱」が出てきたりする。天保の大飢饉を見て武装蜂起しかないという思い行動した大塩平八郎先生。これが正しいかはまったく分からないが、コロナウイルスに対して今やるべき蜂起が「家から出ない」ことであるのは、分かる。

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