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習慣とは「意地」。

ひたすら「本」の話で恐縮ではある。今日、ようやく何度目かの「第8の習慣」を読み終えた。2019年3月に購入してから何回読むのだろうか。audiobookなのでまだ特典の部分が残っている。しかしながら改めて「原則」という言葉は不変でありかつ普遍であるということをまざまざと感じた。

頭のできが僕とは違う方からすると、この「第8の習慣」そしてその前作の「7つの習慣」はビジネス書としては軽すぎると思われるかもしれない。だが若い頃からフランクリン・プランナーを利用し、7つの習慣を読んで実践してきた身からすると、もうバイブルと読んでいいかもしれない。

以前からも書いている通り、「習慣」は人間の本質のような気がする。習慣には思考と行動があると思っている。考え(まさに原則か)と実行が伴ってこそ、この習慣が血と肉になり人生の一部となっていく。たとえ時代が変わっていったとしても人間の持っている原則だけは常に同じだ。

SkytreefanというWebサイトとInstagram。転居してからというもの更新することがなくなったのは当たり前だが、いまだに訪れてくださっている方が多い。特に外国の方々の様子。いま日本に旅行することすらできない状況なので情報を探しているのだろうなと思いながらいつも眺めている。

思えばこれも習慣の賜物。別に東京スカイツリーが撮りたかったわけではなく、日本に来れない外国の方に向けて、地元にある誇り高きタワーを少しでも感じてもらおうと始めたものだったのを思い出して懐かしんでいる。それがあれよあれよと5,000枚ほどのフォトで溢れかえったのだった。

習慣とは恐ろしくも美しい。中毒にもなるし美談にもなる。これからもそんな習慣を実践していきたい。さてこのブログ。「習慣」というテーマの記事は既に9個。もうこれ自体が習慣なのではないかと驚嘆している。決してネタが無いとは口が避けても言わない。ようするにそれが「意地」だ。

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