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OITOと蹴球堂と「FOOTBALL」と。

各所で案内をしている関係でこのブログ読者もご存知の方が多いのではないだろうか。以前から書いてきた「新たな取り組み」をようやく形として公開できることになった。まだまだできているところできていないところ様々ある。しかしながらこの日を迎えられたのは、素直に嬉しい。

「Family」
家族はもちろん汗と涙を共に流したセレッソファミリーとの絆。そんな絆という糸と糸が集まるスペースがある。

「Osaka」
大阪の街に誇りを持つ僕らが見ていたいのは魂の叫びだ。大阪のクラブを応援する大阪の街のシンボルを目指す。

「OITO(8)」
僕らにとって大事な背番号である8。スペースに命名したこの思い。その思いがやがて無限∞へとつながっていく。

「Theater」
夢と希望の長居スタジアムと桜スタジアム。正にSweet Homeとも言えるこのふたつの劇場が間近に見える場所。

「Book」
学びの文化、学びの面白さ。そしてその学んだものごとを誰かのために活かす喜びを提供できる本との出会いが。

「Art」
芸術はいつの時にも不変であり普遍でもある。僕らの街が醸し出す美しさと調和の世界が目の前に広がっていく。

「Live」
声援や応援の美しい音色。窓を開ければいつのときもCHANTが聴こえる環境。音と映像に囲まれた熱気が溢れる。

「Life」
僕らは今ここに生きている。僕らは今ここから生きていく。人生は実に素晴らしい。We will always be here, ever…

これから僕らは多くの「文化」と触れ合っていきたいと考えている。こんな時期だからこそ少しでも僕らは元気を出していく。OITOと蹴球堂とその先にある「FOOTBALL」。光を探す準備をまずは4月30日から始める。そして”あの”5月27日へと向かっていく。4月1日はそんな一日になった。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


 

コメント

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記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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