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タイミングと個性。

久々にMacbookのiMovieを使って動画を編集してみたが、こういうのもたまにやると楽しいなと感じる。テクもないのに半可通な男としても有名な僕だが(そういや昨日とある投稿で半可通をディスっている人を見かけてゾクッとした)、時々だから楽しくて、これが仕事だと苦痛でしかない。

色物と言うわけではないが、個性というものもそのタイミングで利用するから良いのであって、毎回見せられると、飽きる。まるで一つ覚えのマジシャンと何ら変わらない。サッカーもそうだと思うし、2001年のセレッソ大阪は特にそんなことを感じた一年だったように僕は今でも感じている。

西澤明訓さんが海外に移籍した関係で何名かのフォワード選手が加入した。前年に盛られた毒によって僕らは西澤さんの幻影を一年間も追うことになる。選手たちも難しい立ち位置だっただろう。決して重ね合わせて見ているわけではないが、どうしても比べてしまう自分がいたのも否めない。

結局のところ、クラブも選手もそしてサポーターもが、ボタンをかけ違えたことにまったく気づいていなかった。そういう意味での開幕戦。この年に昇格したコンサドーレ札幌とのゲームは、秋に起こる、まさに昨年以上の「悲劇」に向かうすべての元凶だった。少なくとも僕にはそう思えた。

まったくそんな事態を想定していなかった。なんとなく勝ち負けができて、優勝とまではいかなくともなんとなくの結果で終わるものと想像していた。前年と同じことが起こると高をくくっていたわけだ。その状況で戦えるほどJ1は甘くない。いやJ2も厳しいことを翌年、更に知ることになる。

大久保嘉人選手を中心に若い選手も台頭し始め、天皇杯でもファイナルまで進出した2001年だった。そのなかでもセミファイナル浦和レッズ戦、杉本倫治さんのゴラッソが鮮やかに蘇る。たしか救急救命士になったはずだ。タイミングタイミングで個性を見せる男とは実に素晴らしい生き物だ。

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