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攻撃のセレッソ大阪の時代。

日本が初めてワールドカップに出場した1998年。僕はあいも変わらず仕事に明け暮れていた。前年の最終予選はほぼ応援に行ったのだが、どうしても日程が合わずフランスへは行けなかった。悔やんでいるわけでもないのだけれど少し寂しさも湧いていたな。今となっては良い思い出だ。

そんなセレッソ大阪の1998年といえば松木安太郎監督の時代。何をどうすればこういう人事になるのか僕にはほぼ理解不能だったが、何かが起こるんじゃないかと相当な期待をしていた年でもあった。結果としてはファーストステージ9位セカンドステージ13位とそれほどでも無かった。

そのなかでの森島社長の開幕7試合連続ゴールは素晴らしい記録だった。緒戦の大阪ダービーマッチから始まり第7節のヴェルディ川崎戦までの7つのゴラッソは凄いのひとことだ。その間にはあの忘れられないスコアとなった試合も存在している。とにかくこの年はインパクトが強すぎた。

このジュビロ磐田戦の1-9という結果もさることながら、僕が印象に残っている試合をあげるとすればセカンドステージ第14節の横浜フリューゲルス戦だ。この三日前に横浜マリノスとの合併話が大きな話題となった。発表直後の試合という、なんとも難しい局面にぶち当たってしまった。

やはり他のクラブであっても、大好きなチームが無くなってしまうのを間近で見ると、やはり心が痛くなったのを覚えている。自分たちがそうなったときにどう感じるのだろう。そういや何年か前に大阪の2チームが一緒になる、なんて記事が世間を賑わせたな。まあありえない話なのである。

この試合。結局のところ0-7とまたも大敗してしまった。とにかくこのシーズンは大味な試合が多かった。大阪ダービーはダブル。柏レイソルとは当時の総得点記録(5-7)。これ以外にも4-3の試合が二試合と、実に松木さんらしいといえばらしい。ここから攻撃のセレッソ大阪の時代が始まる。

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