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ファシリテーター人生。

昨日の夜はあまりにも精魂尽き果ててブログ更新が叶わなかった。それくらいかなり充実した一日であったのは間違いないと思う。こんな毎日を過ごすことができるのはやっぱり仲間に恵まれているのと、大好きなものがそこにあるからだ。本当にありがたい話である。

「レゴ®シリアスプレイ®体験ワークショップ with 山之上」(ネーミングセンスは置いといて)は9名の参加を頂いて開催した。ひととおり「レゴ®シリアスプレイ®とは何か」、「何が得られるか」、「どんなことを行なうのか」などを説明と実際にプレイしていただいた。

手で何かを作ることから生まれる思考を大事にするコンストラクショニズムと、「問いは難しいが更に作りたくなる」感覚を持つことができるフロー理論。このふたつを駆使して進めていく過程で、モヤモヤした感覚や言葉にできなかった何かを形にしていくことが可能となる。

自分の手をひたすら信じ限られた時間の中で組み立てた、眼の前にあるこの作品。そのひとつひとつのレゴブロックには意味が絶対にある、たとえ「眼の前にあったから」取り付けたものであったとしても。「強いて言えば」「例えるなら」形から言葉を思考することはできる。

ファシリテーターの力量不足のせいで中々上手くいかないところもあったとは思うけれど、このワークショップではそんなシリアスプレイ(真剣に遊ぶ)を経験していただけたのではないかと感じている。ひとりひとりが何かを掴んで持ち帰ってもらえたとしたら非常に嬉しい。

この先もワークショップが待っている。8時間かけてレゴ®シリアスプレイ®で自分を探すワークショップ。自分たちの事業を更に加速させるためのワークショップ。更に近々で数回行なう予定だ。声をかけてくれるアミーゴに支えられてファシリテーター人生は続いていく。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。 雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。 「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか? 思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。 良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。 そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。 ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。 いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。 宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。 NEVER STOP...

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