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気にしてもらえるありがたさ。

知人を勉強会に連れていくため昨日は味の素スタジアムに行けなかったが、夜になってアミーゴから連絡をもらって、試合は敗れはしたのだがとても嬉しい気持ちになれた。気にしてもらえていることが本当にありがたいし、僕にとってこれが生きている証にもなるのだ。

各カテゴリーのサッカーてんこ盛りな今週ではあるが少しお金の話を。勉強会は「海外での資産運用」と「こどものための経済教育」についてだった。特に後者に関しては興味を持って聴かせていただいたが、これが非常に面白い内容で僕はかなり惹き込まれてしまった。

自分自身でも感じるが、小さいときからお金は「汚いもの」というネガティブなイメージを植え付けられていたような気がする。例えば貸し借りや「足りない」という言葉ばかりが目立って、お金の話をしたりすることすら憚られる感もあった。そんな思い出のほうが大きい。

要は、僕は子供の頃にお金について何ひとつ学んでいなかったのだ。「子供の時に知っていたら・・・」という後悔の念はそんなには無いのだが、知っていると知らないでは雲泥の差があるのは明白。今こんな世の中だからこそ、子供、特に日本の子供にお金の教育が必要だ。

改めてだが僕は子供が苦手(嫌いなのではない)だが苦手を克服するときが来たかもしれない。今後もしかしたら様々なことが動いていく可能性もある。僕を気にしてくれている方に感謝しなければという想いが苦手を勝るか。まさに「ありがとう」が生きている証である。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP