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気にしてもらえるありがたさ。

知人を勉強会に連れていくため昨日は味の素スタジアムに行けなかったが、夜になってアミーゴから連絡をもらって、試合は敗れはしたのだがとても嬉しい気持ちになれた。気にしてもらえていることが本当にありがたいし、僕にとってこれが生きている証にもなるのだ。

各カテゴリーのサッカーてんこ盛りな今週ではあるが少しお金の話を。勉強会は「海外での資産運用」と「こどものための経済教育」についてだった。特に後者に関しては興味を持って聴かせていただいたが、これが非常に面白い内容で僕はかなり惹き込まれてしまった。

自分自身でも感じるが、小さいときからお金は「汚いもの」というネガティブなイメージを植え付けられていたような気がする。例えば貸し借りや「足りない」という言葉ばかりが目立って、お金の話をしたりすることすら憚られる感もあった。そんな思い出のほうが大きい。

要は、僕は子供の頃にお金について何ひとつ学んでいなかったのだ。「子供の時に知っていたら・・・」という後悔の念はそんなには無いのだが、知っていると知らないでは雲泥の差があるのは明白。今こんな世の中だからこそ、子供、特に日本の子供にお金の教育が必要だ。

改めてだが僕は子供が苦手(嫌いなのではない)だが苦手を克服するときが来たかもしれない。今後もしかしたら様々なことが動いていく可能性もある。僕を気にしてくれている方に感謝しなければという想いが苦手を勝るか。まさに「ありがとう」が生きている証である。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。 雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。 「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか? 思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。 良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。 そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。 ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。 いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。 宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。 NEVER STOP

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