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「無音」の心地よさ。

様々な音色に囲まれている日常を飛び出して、音から離れた世界に行ってみたいと時々思ってしまう。誰とも会わず誰とも交わらず静かで穏やかな状況をゆったりと過ごす。ただしそれがずっと続いてもいけない。雑踏の中のオアシスというか、時折やってくるのが良い。

少し前ではあるが映画「さよならくちびる」を見た。女性デュオ「ハルレオ」を主人公とした音楽映画ではあるが、途中途中でやってくる「無音」の心地よさに震えたのだった。人は音無しでは生きていけない。だが人は音と距離を取りたい生き物でもあると改めて知った。

この世は音が溢れすぎている。そんな音に敏感になりすぎている。気持ちを整理する時間すら準備できない時代をしぶとく生き延びるのに必死になるが故、自分すら聴きたくもない音を発してしまうこともある。「さよならくちびる」を見た僕の頭の中を感情が渦巻く。

騒がしい街並みを抜け、僕は思い立って髪の毛を切りに床屋へ行く。静かな空間で髪にハサミが入る音だけが聴こえ・・・いや、ざわついている。スタッフさんの声、声、声。それも良い。「音」と「無音」のハーモニー。このバランス感覚がやっぱり良いものなのだ。

さて「さよならくちびる」である。周りの方々同様に本当に素晴らしい映画だと感じたが、やはりイバ的見どころは小松菜奈さん一択であると叫びたいのだ。どこまでいっても彼女を応援し続けるのだと僕は改めて心に誓ったのだった。これだけは「無音」でいられない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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