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エルサルバドル戦で感じた宿命とは。

今朝久々に夢を見た。何故かこの僕が転職する。だが出勤初日にも関わらず会社の場所が分からない。迷いながらなんとか玄関に着くも自分のカードで入口を通れない。色々試してみるも上手くいかず、最後は仕方なくボーっとしていると中に入れてくれた、そんな夢だ。

この夢が何を暗示しているのかも全く分からないが実にもどかしい。夢を見るなんてそれほど多くない体質(寝言はよく言うらしいが)なのにどうして選りに選ってこんな内容なのか。だいたい夢を見ると碌なものでは無い。それもこれも自分自身の持つ宿命というやつなのか。

さて日本代表のエルサルバドル戦。永井謙佑選手の2ゴールは本当に素晴らしかったが、それを上回るのが途中出場した久保建英選手。ボールタッチやシュートは勿論のことながら、それ以上に、加熱するメディアに対する言葉を含めて”持っている選手”だとしか思えない。

試合後に永井選手が「ゴール決めた試合にデビューするよな」と冗談交じりに話していたのも印象的だった。そういう星の下に生まれたとでも言うのだろうか、僕を始め特定の人間は実にそのような場面に出くわすのだ。運命なら変えられるかもしれないが宿命は非常に難しい。

その久保選手の出場シーン。心の中で僕は「帝王との交代だけは回避してくれー」と何とも理不尽なお願いを何処かの誰かに向かって発したのだが、無情にも9→27というボードが示されてしまった。まあ僕の願いが全て逆に行ってしまうのは今に始まったことではないのだが。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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