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チャンピオンズリーグファイナル雑感。

僕の周りにはリヴァプールファンが殊の外多い。人気クラブなのでしょうがないところも多分にはあるのだが、トフィーズ好きとしては気持ちの整理が難しい。世界一美しいダービーマッチと言われるマージーサイド・ダービーのライバルがヨーロッパの頂点に立った。

それにしても今年のUEFAチャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグの両ファイナリストが全てイングランド・プレミアリーグのクラブというのは凄いなと思うのと同時に、母国リーグのチャンピオンがここにはいないという想像を絶する層の厚さを感じざるを得ない。

トッテナム・ホットスパーは序盤のペナルティ・キック献上でゲームプランが相当変わってしまったのかなとも感じた。ありったけの圧力を持って終始攻めている。リヴァプールは逆に守備の時間が多い。いや敢えて攻撃を受けているのだろうな、と素人ながらに考えた。

個人的には両サイドバックが試合を決めた気もする。昨年のこともあるし、ヨーロッパを制する準備とか心づもりの面でも既に勝敗が確定していたようにも感じる。それ以上に、スタジアムに響き渡る「You'll never walk alone.」の勝利なのだろうなとひとり納得する。

この試合を「凡戦」と呼ぶ方々も多々いるだろうが、僕は逆にリアルな今を象徴した味のある試合だったように思えた。勝つよりも負けないことを優先したかのような顔やサポーターの一喜一憂の映像が映るたびに、なんだかホッとしたような気持ちになったのだった。

近々レッズファンのアミーゴと酒を交わすことになりそうだ。満面の笑みを浮かべられるのを覚悟する。トフィーズは当分ヨーロッパカップ戦もお預けか。とりあえずはadidasの「マージーサイド・パック」なるスニーカーを探す旅に出よう(何処に売っているんだろう)。

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