スキップしてメイン コンテンツに移動

第25節 川崎フロンターレ戦。

「因縁」とはいつの時代も大事な場面で訪れる。自分自身も先日「因縁」という言葉を強く感じるシーンがあったのだが、できるだけ考えないようにしたところ何故だか不思議とクリアすることができた。あまり深く考えず”ケ・セラ・セラ”よろしく流していくのもありなのだ。

長居スタジアムでの川崎フロンターレ戦となるとどうしても2000年5月27日を思い出すだろうが、よく考えてみるとあの頃とはもう立ち位置も状況もまったく変わってしまっている。2006年の雨の長居第二陸上競技場も含めて、川崎との「因縁」はこのまま薄れていくのだろうか。

瀬古歩夢選手の先制、鈴木孝司選手の勝ち越し共に我々の”らしさ”が出たゴールだった。特に瀬古選手のJ1初ゴールは自分ごとのように非常に嬉しい。U-22日本代表にも選出されたが、セレッソ大阪で更に活躍し、ここから東京オリンピック代表、フル代表への足がかりにしたい。

それにしてもだ。この暑さのなか、奥埜博亮選手、藤田直之選手、レアンドロ・デサバト選手の三人で35km以上を走り切るのは本当に驚異的だ。勿論走らされていたと言える部分も無くはないが、チームが助かっているのは言うまでもない。全ての選手のRUNの勝利だとも言える。

インターバル前のこの大事な試合で勝ち点3が手に入れられたのはとても大きい。「因縁」なんてものはどうでもいいと思えるような熱い試合内容。怪我人も増えるであろうなかでまたひとつ戦えるチームに成長したという感がある。残り9試合で更なる「因縁」が増えねばよいが。

何故ここまで僕が「因縁」という言葉に拘った書きっぷりなのか。それはまた別の機会にお伝えしたいと思っている(果たして書けるのかこれ)。それにしても大人になればなるほど引くに引けなくなる喜劇。踊る道化師のように”ケ・セラ・セラ”と僕は右から左に受け流す(古)。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP