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#DQウォーク にハマる予感。ハマらない予感。

取り急ぎはっきりと申し上げておくと僕はドラゴンクエストが大好きだ。1986年にこのシリーズが誕生する以前にもロールプレイングゲームというジャンルは確立していたものの、個人的にはここが原点であるのではないかと強く感じている(あくまでも個人の感想として【強調】)。

そのなかでも特に「ロトの三部作」と呼ばれるⅠ〜Ⅲは、大人になってからでも何度も何度も繰り返しプレイした記憶がある。成長、出会いと別れ、そして決断。なんとなく自分に置き換えてイメージしながら、まさに人生をどのように歩いていくのかを意識させられたような気がした。

年齢を重ねるにつれてなかなかまとまった時間でプレイすることが難しくなり、殆どロールエンドを見たためしがなかった。スマートフォンが普及しスマホアプリとしても登場したドラゴンクエストだったが、それでもまともにプレイできる状況には当然なれず、かなり距離があった。

2016年8月。ドラゴンクエスト誕生から30年を迎えたこの年に「ドラゴンクエストミュージアム」を見に行った。なんだか若い頃を思い出し大はしゃぎした。子供心というものは一生消えない宝物なのだなと、僕は正直思った。その時買ったドラクエ扇子は、今も常に持ち歩いている。

そして昨日、このドラゴンクエストと現実社会が融合したスマートフォンアプリ「ドラゴンクエストウォーク」の配信が始まった。早速ダウンロードして少しだけ遊んでみた。まずは流れる音楽がお涙を誘う。お、おぅ、面白いじゃね−か。と神田川のほとりでしばらくゲームに浸った。

とは言え今更ゲームにハマるたちでもなく、いつかはMyスマホの「使わないアプリ」の仲間入りをするのだろう。しかしながら大好きな感情は色褪せることもなく、僕とドラゴンクエストの旅はこれからもそこそこ続いていくものと思われる。腐れ縁というほどのものでもないが。

※自分のペット(モンスターw)を仲間にできるとかだと散歩が楽しそう。
※スクエア・エニックスさん、なんか、お願いします(笑)。

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コメント

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