すっかり書くのを怠っていた。時が経つのは案外早いもので、先日我が家のクロヱ(パグ♀)が3歳の誕生日を迎えた。人間の年齢でいうと28歳?くらいで、ようやく大人として成熟しかけているところだがまだまだお転婆娘のままである(いや40越えてもオコチャマは存在する)。
思い返せば自分自身がオコチャマだった幼年期の頃から常に犬と一緒に暮らしていたという実感がある。戌年生まれでもあるし、獅子座だし(関係ない)、里見八犬伝好きだし(もっと関係ない、あ、こっちのほうがまだマシか)。人犬共に幸せに満ち溢れた時間を共有している。
僕の運命的に寿命的にクロヱが最後の犬のような気がしてならない。だからこそ今まで共に歩んできたジル、エリー、ポール、テリ子のことをいつも思い出しながら懐かしみながら、クロヱと触れ合える時間を大切にして毎日を過ごしていきたいと思う気持ちがとても大きいのだ。
人生と犬生。この数奇な巡り合わせを胸にこれからも前向きに進んでいくつもりだ。散歩の距離が伸びれば伸びるほど、生き物同士の距離は近づいていくのだと僕はそう思う。物言わぬ分だけ余計にそう思う。それが人間だと、それが人間ができる愛情表現のひとつなのだと感じる。
子供も犬も自分の道具じゃない。彼らは大事な家族でありかけがえのない存在なのだ。勿論ときには躾が大事なのかもしれないがそれ以上に愛情はもっと大事だ。いやそんな言葉で収まるものではないのだ。最後は何度も何度も繰り返される哀しい出来事に重ねてしまって済まない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
思い返せば自分自身がオコチャマだった幼年期の頃から常に犬と一緒に暮らしていたという実感がある。戌年生まれでもあるし、獅子座だし(関係ない)、里見八犬伝好きだし(もっと関係ない、あ、こっちのほうがまだマシか)。人犬共に幸せに満ち溢れた時間を共有している。
僕の運命的に寿命的にクロヱが最後の犬のような気がしてならない。だからこそ今まで共に歩んできたジル、エリー、ポール、テリ子のことをいつも思い出しながら懐かしみながら、クロヱと触れ合える時間を大切にして毎日を過ごしていきたいと思う気持ちがとても大きいのだ。
人生と犬生。この数奇な巡り合わせを胸にこれからも前向きに進んでいくつもりだ。散歩の距離が伸びれば伸びるほど、生き物同士の距離は近づいていくのだと僕はそう思う。物言わぬ分だけ余計にそう思う。それが人間だと、それが人間ができる愛情表現のひとつなのだと感じる。
子供も犬も自分の道具じゃない。彼らは大事な家族でありかけがえのない存在なのだ。勿論ときには躾が大事なのかもしれないがそれ以上に愛情はもっと大事だ。いやそんな言葉で収まるものではないのだ。最後は何度も何度も繰り返される哀しい出来事に重ねてしまって済まない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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