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「両雄並び立たず」。

「両雄並び立たず」とはいつの時代にも現れるが本当にそうなのかと疑問も湧き上がる。先日レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが初共演した「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を観に行ってきたが、改めて「両雄は並び立つ」ことを認識したのだった。

「両雄並び立たず」とは中国の史記にまつわる言葉のようだが、僕の中のイメージでは横山光輝先生の漫画「三国志」の中での曹操孟徳と劉備玄徳の関係性で出てきた一節のイメージがかなり大きい。「英雄は二人いらない、ただひとりで良い」という感じだったような気がする。

サッカー界でもしばしば「共存できるか」だとかいう言葉で語られるケースは多い。少し毛色は違うし何となくぼやっと感ではあるが、僕はどうしても二人のロベルトを思い出してしまう。二番手に甘んじることを敢えて拒否する姿勢などが物議を醸しだしていた1994年のアメリカ。

セレッソ大阪ではどうだろう。噛み合わないだろうなと思いきや意外とマッチした黄善洪さんと西澤明訓さん。年齢差のおかげなのかも知れないが、この二人が本当にとんでもないファンタジーを見せてくれていた。クラブ64ゴールという数字とともにあの年の良き思い出でもある。

東京国立博物館で行なわれている「特別展三国志」がもうすぐ終了してしまうのだ。近々で何とか行きたいと思っているが仕事とのトレードオフはどうなるのだろうか。両雄並び立ったどころか国家三分の計という三人の英雄を生み出したその歴史を堪能したい。何とか頑張りたい。

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