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人はそれぞれ。映画も人それぞれ。

三十代の頃、とある偉い方に「お前は絶対に偉くなれない。俺が見るからに○○のほうが断然上に行くはず」と言われたことがあった。僕の性格から答えは分かると思うが、その御方に返した言葉が「人の見る目はそれぞれですからねえ」。当然(なのか?)のことながら激昂された。

言葉に悪意は無いが、確かに神経を逆なでした。「精進します!」とか「どこが駄目でしょうか・・・」とかの返事を期待していたのかもしれない。どうも僕の言葉は人とは違うとよく言われる(特に意識はしていないのだけれど)し、行動もそうだ。”変な人認定”はここからくる。

ただ僕はこうも思う。考え方は人それぞれだ。発する言葉もそれに従うのだ。そう考えると、言いたいことが言える環境はそれはそれでありだが、考え方が多様性を含む場合の言葉に対しての批評が、この世の中多いことがとても気になる。先日見た映画も評価もまさにそれに近い。

各所でかなりの批判を受けている映画も多いが、意外とすんなり受け入れることができたりする場合もある。映画なんてそんなもん(変な意味ではなく)だと思うし、2時間という枠のなかで全ての人を満足させることなど出来やしないだろう。ましてやもっと短くなるとなおさらだ。

素人ながらに思う。良い映画とそうじゃない映画の違いとは一体何なのだろう。関係者と知り合うこともあるし見る機会も多いのだが、未だに映画の何も分かっていない(その道の皆様申し訳ございません)。でもそれで良いんじゃないかと思い始めている自分もここに存在している。

好きなものは好きで、合わないものは合わないのだ。それで良いのではないか。映画だけじゃなくどんなものでも自分に素直になるのが一番だと思う。ちなみに僕はこの映画、無しの部類ではなかった。人はそれぞれ。人の思いはそれぞれ。考え方も人それぞれ。それでいいではないか。

そう言えば先日とある団体にお誘いをいただいた。そこでの役割が「映画担当理事」(なんのこっちゃ)。それほど多くの映画を見ているわけでもないがそんな印象がついているのだろうか。「映画担当理事」がどれほどのものかは不明だが、自分なりの考え方を貫ければと考えている。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

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