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良いところとそうでないところ。

墨田区から中野区に移り住んではや半年になる。一番感じるのが「歩き煙草」の方が想像以上に多いことだ。個人的感想を申すとこれがこの街の印象にどれくらい影響しているのかは皆目分からないが「良いところとそうでないところ」を引っくるめて街というものは形成されている。

昨晩のワールドカップ二次予選ミャンマー戦を見た感想としては、その「良いところとそうでないところ」が入り混じった試合だな、と。「凄えな」とか「流石」とかに混じって「え、そこ行かないの」とか「なんでそれ」とか「意味が分からない」というのが僕のバズワードだった。

なんだかゴツゴツしたあの個性は無くなったものの何とも言えないオーラの選手たちに、良くも悪くもこれが今の日本を象徴する代表スタイルなのだと僕は見えてしまった。後半圧力を強めてきたミャンマーに対する戦い方は、少なくとも今後このチーム形成に大きく影響するだろう。

それでもしっかり手にした無失点での勝ち点3はこの水浸しのピッチを見ているだけでも正しい道を進んだのだと僕は感じる。「毒を以て毒を制す」という言葉が適切かどうかではあるが、良いところとそうでないところが今必要な個性だとするならば、信じる道をひた走るしかない。

何となくだが今回のワールドカップ予選、どこかでアウェイ戦を見に行く予感がしている。僕のこれまでの記憶を辿ると、訪問した国々で起こった「良いところとそうでないところ」が入り混じった歴史でもあった。今回はどちらに転ぶのだろうか。正直なところ皆目分からないが。

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