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自分自身に「いい夢見ろよ」と言ってみる。

あまり夢を見ることがなくなった。それこそ昔はいろんな夢を見ていたのだけれど、歳を重ねるにつれて段々となくなっていった感覚だ。「いい夢見ろよ」と子供の頃にタレントからよく言われていたような気がしていたが、今Wikipediaを見ると8つくらいしか変わらないという驚愕の事実に出くわした。

話は180度変わる。今週、アミーゴが東京に来る予定だったので軽く飯でも、と思っていたら、例の東京アラートによってご破産となった。今月末にお呼ばれしている飲み会も結局参加は厳しい。なかなか人生は上手くいかないものだなと嘆いているが、空けない夜は無いと信じて生きていくしかないのだ。

空けない夜で思い出した。最近は睡眠時間を多く摂るようにしている。完全な健康志向に目覚めたわけでは決してないのだが、少しでも新型コロナウイルスに耐性を持ているよう基礎体力を保ちたいと思っているのが理由だ。これが役に立つかどうかではある。しかしながら少しでも何かをしておきたい。

1はいきなり100にはならないのだ。少しずつでも努力を続けることが必要だ。その積み重ねが何かを生み出すと僕は常に考えている。その歩みが亀のように時間がかかっても良い場合もある。時間がかかることを嫌う方も当然いるだろう。それでも少し足を止めてゆったりとしてみるのもいいかもしれない。

最近、歩くスピードが少し落ちたと感じている。もちろん到着が少し遅くなってしまうわけだが、そのなかで、街の風景をよく観察するようになった。速いには速いなりの、遅いには遅いなりの作用がある。歩く速さひとつで景色が変わる。毎日でもいいので努力を続けることをしていこうと思っている。

さきほど世界中のレゴ®シリアスプレイ®認定ファシリテーターが集まるオンラインイベントに日本時間の22時から参加していた。眠たい目をこすりながら、また、Englishに苦戦しながらの一時間半。少しずつの努力が実を結ぶのはもしかしたら相当先かもしれないが、この一歩一歩の努力を続けていく。

かなり眠たくなってきた。いい夢を見ながら寝たいとは思うが、よくよく考えたらまだまだやることがあったことに気づく。これから、そんな毎日の積み重ねを忘れずに行なう。今日はサッカーの夢でも見たいよな、と自分自身に「いい夢見ろよ」と言ってみる。多分何も無い朝を迎えるのだろうけど。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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