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歴史の掟。

週明けの月曜日。土日を含めて、とにかく今週も色々と周りに何かがやってきて、なにかと僕を楽しませてくれる。そこにはもちろん、良いことだけでなく悪いことも一緒にやってくるわけだから、人生とは、仕事とは、実に面白い物語だ。

今読んでいる書籍にもそんな歴史の中での浮き沈みが書かれており、共感を持って読書に勤しんでいる。やはり歴史というものは儚いから尊い。歴史は必ず勝者が書き換えるものであるわけで、後々の世に伝えられるときには、既に虚構だ。

ある意味、真実というものはぼやけてしまい、正否などはどこか彼方へ飛んで行ってしまう。歴史を愛する者からすれば、まあそれはそれで良いと思ってしまうし、それが歴史の掟だとするのならば、そのような真実も受け入れるほかない。

セレッソ大阪の歴史もすべてが美しいものばかりでもない。前述のように「書き換えられた」事柄も少なくないようにも思える。クラブがあり利害関係者がいて物事は成り立っていると言っても過言では無い。バルカン路線などいい例だ。

そんなことを思ってしまった今日。ようやくサッカーショップ蹴球堂BASE店に商品を掲載させていただいた。「SUPER DOBRO #22」Tシャツ。この言葉をクロアチア人アミーゴに教えてもらってからはや18年。月日が経つのは本当に早い。

歴史は歴史のまま描くほうが僕は良い気がする。とにかく今はこの”J最強ディフェンダー”とともに前に向かって歩き続ける日々が嬉しい。そういやメッセージ付き画像を送り忘れていて、先程コールリーダーに送信。これも歴史の掟である。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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