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セレンディピティ。

スーパーコンピュータ「富岳」が性能ランキングで世界一を獲得したとのニュースを見て、一番最初に思い出したのは「二位じゃだめなんですか?」だったのではないだろうか。その二位問題を記事にあげているもののなかにポジティブな意見があった。

少し解釈が違っていたら申し訳ない。あの「駄目出し」のおかげで、計算処理能力だけを目指していた開発から、より「人の役に立つ」開発へとシフトしたのだと言う。本当かどうかだが、それはいわゆる「セレンディピティ」と呼べるものだろうか。

もしそうだとしたら「人の役に立つ」思いで作っていたらいつの間にか世界一になっていた、ということになる。何かを探している途中で探しているものとは別の価値を見出すという「セレンディピティ」と聞いて僕が真っ先に思い浮かぶのがTwitterだ。

自分や仲間同士での楽しみの中から何かの気づきを得て、大きなビジネスへと変わっていくと言えば、このコロナ禍で多くのユーザーを獲得したZoomもそのひとつだ。聞くところによると元々の発想の出発点は「遠距離恋愛の溝を埋める」だったらしい。

諸事情でオフィスが狭くなってしまい、そのためにすべての従業員が自身のデスクを持つことができなくなったことで開発される運びとなったフリーアドレス用アプリケーション然り。それらを見ていると「セレンディピティ」は至るところに存在する。

見方や捉え方を変えてみれば、スケールが大きくなくても、自身の身近にあるものでもまだまだ光り輝く瞬間が存在するのだなと、スーパーコンピュータ「富岳」のニュースを見ていて感じた。先日の嬉しい上場話ともども、素敵なニュースに心が躍った。

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