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何事も決めつけはよろしくない。

節目を迎える2020年が遂にスタートした。困難が多く降り注いだ「不惑」の四十代があと八ヶ月ほどで終わることになる。まだまだ若いと思っていたがもういい加減死ぬための準備をし始める必要があるのだなと感じつつではあるが、まだ「ここが限界」というには早過ぎるのかもしれない。

国立競技場へと戻ってきた天皇杯ファイナルをテレビで観戦する。弱い心構えが駄目だとは思いながら、こういう場面を見るといつも何冠とかのほうが有利かと考えてしまうのが、関西クラブのジレンマたるものなのだろうか。良い悪いを簡単に決めてしまってはいけないのだなと感じる。

何事も決めつけはよろしくない。昨日大晦日のニッパツ三ツ沢球技場に行く直前まで何となく付けていたシャープのテレビで流れている「義母と娘のブルース」。何となく、本当に何となくではあるのだが、苦手なほっこり家族ドラマだと僕は勝手にイメージしてしまっていたことを知る。

少し早めの到着を考えていたが結構ギリギリに近い。それくらい凝視してしまっていたがもう出かける時間だ。ハードディスクレコーダーの録画ボタンを僕はそっと押し、その後、東京メトロ丸の内線内にてスマートフォンのアプリで正月に行なわれる予定のスペシャルを予約するという。

少し話がずれたが、論語でも孔子が「五十にして天命を知る」と語るとおり、今僕が天から与えられた使命とは一体何かを考える時期でもある。やれること、やるべきこと、やらなければならないこと。これらを整理していくのがひとまずの自分に課せされている。時間はまだまだあるはず。

早速ではあるのだがこの1月には福岡、広島、大阪を訪問(特に福岡は二週連続)する。特に福岡と大阪では滞在時間も比較的多いので、より多くの出会いを求めていきたいと思っている。思っているだけでは勿論駄目だが、天命だと感じて僕という人間を上手く利用してもらえたら幸いである。

昨年同様、経営企画に新規事業企画、サービス開発や24時間365日のサポートセンターの責任者を担ってきた経験、更にはサッカーショップ蹴球堂で小売やリアル店舗運営も行なってきたという経験を活かして、あっちこっちに飛び火する「超拡散ブレスト」を継続していこうと計画している。

「そんなもんやれるか!」「何の意味があるのか」「で、売れんの?」「そんなことやっている間に売上のひとつでも」こんなバイアスを一旦取り除いて、まずは自分の頭の中と素直に向き合い、作って、書いて、対話する。グダグダしてもいいやん。人間やし。とまずはぶち壊してみるのだ。

とは言え、話し下手の引っ込み思案な僕が軽々しく言える言葉ではないが、2020年は更に多くの方々との対話を求めていきたいと思っている。時と場所を自分から選んでいくことへの苦手感覚などを克服していければとは考えているが果たしてどうなるだろうか。決めつけは撲滅するに限る。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※これだけあれば正月を乗り越えられる、と決めつけてはいけない。
※とは言え、平穏な正月を迎えられるのが一番の幸せでもある。

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