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温良恭倹譲。

以前一緒に仕事をしていたアミーゴと、何年ぶりかに食事を共にする機会があった。現在の仕事や昔々の辛かったことなど色々な話をしていて気付いたのは「苦労は若いうちにするべき」だった。たしかにあの時期はまさに「背中から斬られる」ことが日常茶飯事だったなと思い出される。

その苦労のおかげで今の自分たちが存在しているなら、この斬り込みもまんざら悪かったわけでもないのだなとしみじみ語り合っていた。アルコールを断っているなか、烏龍茶で酔いながら時間も忘れて盛り上がってしまった。今も昔もアミーゴとこんな人生を共に過ごせているのが嬉しい。

いや、この「背中から斬られる」という言葉でふと思い出した。それは昨年末、長野県で行なわれたセレッソ大阪堺レディースのなでしこ一部二部入れ替え戦後に訪れた松代市。松代藩士佐久間象山先生の史跡を廻ったこと。幕末明治史跡好きの僕として、かなり行きたかった場所でもある。

その佐久間象山先生が1864年、京都で尊王攘夷派に殺害されたのがまさに「背中から斬られた」と歴史が語っているのだ。稀代の思想家としてはどこからも狙われる存在だったのだろう。その理由が「温良恭倹譲のどの語も欠ける」と仲間内からも言われたとか言われなかったとからしい。

「温良恭倹譲」。論語の一節でもある。では自分自身に当てはめてみるとどんなことになるのだろう。つまり、だ。

温・・・おだやかで、
良・・・すなおで、
恭・・・うやうやしく、
倹・・・つつましく、
譲・・・ひかえめなこと。

うん、穏やか。うん、素直なときもある。うん、うやうやしいな。うん、つつましく生きている。うん、ひかえめ。すべて当てはまっている。自分ではそう思っているが、やはり気に入らない方もいるのだろう。しかしそれでも、多くのアミーゴに恵まれているのだろうなとも感じてしまう。

多くの変革を求めながらも歳を重ねるたびにひとつずつ棘が丸くなってく感覚も自分のなかには育っている(敢えて)。いつでも書くのだが歴史から学ぶことが殊更多い。それでもまだまだ僕の幕末明治史跡マップにおけるたくさんのマークが黄色から赤色に変わっていかない。もっと歩こう。

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