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サポーターの”セブンセンシズ”とは何なのか。

昨年末に講演会「サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~」を三部作で書いた(というか転載しただけ)ときに感じたのが、人生の実に半分以上をセレッソ大阪とともに過ごしてきたということだ。頭の中も内臓も、五感すらも全部染まっているように思えてくる。

”小宇宙(コスモ)”というものが人間の可能性として備わっているならば(少なくとも僕は信じている)、セレッソ大阪に関する場面場面において僕が撮ってきた様々な写真は、まさに”小宇宙を超える何か”が巻き起こしたとしか言いようがない。それくらい不思議な縁が数多く存在した。

新しい家(と言っても借家)に引っ越してきて久々に片付けを行なっていたところ、とても懐かしい写真が出てきたのだ。当時は兎に角チェキにハマっており撮りまくっていた記憶が蘇る。そう言えば今そのチェキが再流行していると聞き、コマーシャルも流れていて非常にビックリした。

アミーゴたちとの写真。みんな若い。外国人のジェントルマンが真ん中にいる。名前が一部しか出てこず、僕はインターネットで検索する。すぐ出てきた。レスリー・モットラムさんだ。懐かしい。この階段の感じ、一体何処のスタジアムなのだろ、いや一撃で理解した。万博陸上競技場だ。

インターネットは実に便利だ。いろいろな情報がそこには存在し、短い言葉ひとつですぐに辿り着くことができる。ところでこの写真。一体、いつのものなのだろう。裏面などを見ても一切書かれておらず、仕方なく僕はパソコンを開いて検索を始める。「モットラム ダービー 万博」と。

1999年5月15日。2-1で勝利している。この試合をよく憶えていないが、黄善洪さんの終了間際のゴールで大阪ダービーを三連勝(ちなみに二年連続シーズンダブルの四連勝だった)したというページが出てきた。この年、我らがアイドル真妃ちゃんが『おはようセレッソ!』の担当となった。

あの頃はほとんどインターネットなどというツールが今ほど使い物になっておらず、かなり苦労しながら物事を探したりしていたのだろうが、このようにして現在では大昔の20年前のことでさえ鮮明に蘇ってくるのだ。本当に凄い時代でもあり、空恐ろしい時代でもあるとおじさんは感じる。

さて、この1999年は、前述の黄善洪さんが24得点を獲り、セレッソ大阪に初めてのタイトル「Jリーグ得点王」をもたらした年でもある。総ゴール数は60点を越え、前年から続く爆発的な攻撃スタイルを確立したのもこのシーズン。なんやなんや、次から次へとワンサカ出てくるではないか。

勿論良い話ばかりではない。9月。僕らによくしてくださっていた久高友雄さんが、明けた年にはアミーゴのサポーターが若くして他界した。この方々を含め、僕らセレッソ大阪サポーターは多くのものを背負ってこれからも戦い続けることが大事なのだな、と一枚の写真から気付かされた。

僕らセレッソ大阪サポーターはひとつだ。クリックひとつで思い出を引き出せるような、そんな時代になったとしても、手元に残る写真たちから僕は何かをいただき続けることができる。まさに小宇宙を超えた”セブンセンシズ”。僕ら聖闘士は聖衣を身にまとい、一歩ずつ前に進んでいく。

余談だがモットラムさん。僕の中でベストバウトと勝手に位置付けている2000年5月20日の雨の三ツ沢。歴史に残る横浜F・マリノス戦の笛を吹いていたという事実に僕は行き着いた。先日訪れたばかりで何という縁なのだろうかと背中が寒くなるのは、一桁気温の天気のせいだけではない。

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