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下手の横好き、上等。

うん、やはりスポーツは良い。昨日はアミーゴに招待されて「ピンポン多ッ種」という名の通りの卓球新年会に参加した。卓球のラケットなんて持った記憶がほとんど無く、ドが何個付くのか分からないくらいの素人だが、参加されていた方々も素敵でなんだかとても気持ちいい時間だった。

球技は比較的得意だと自負していたので、ちょっと「ピン、ポン」とやってみたら感覚を得た。それほど興味を持ってはいなかったがテレビや昨年のTリーグ開幕戦を見にいったように、知識はなんとかありそうな感がある。岡八郎師匠のおっしゃっている「通信教育での空手」に何となく近い。

「下手の横好き」という言葉もある。何事にも興味持って臨むことが大事だと思うしきっかけはとても偉大だ。この「ピンポン多ッ種」で卓球というスポーツにとても関心が出てきた。大雨のなか、帰りのバスの片隅に座りながら「中野区 卓球 サークル」とか検索してしまう自分が可愛い。

僕が進めているレゴ®シリアスプレイ®も同様だ。これは何もレゴの組み立て能力とか作品の美しさを競うコンテストでは決して無い。手先の上手い下手なんてものはまったくもって関係ないのだ。自分自身そしてチーム、組織の内面や心の声と真摯に向き合うためのメソッドのひとつなのだ。

そういったものすべてを包括してワークショップを行なったりしている。「まずはやってみる」という感情の物語への、僕からの招待状でもある。「下手の横好き」と言うと語弊があるが大歓迎だ。卓球への思いと同様に真剣さや熱心さと付き合えば案外、素敵なことになっていく気もする。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※これくらい上手くなれるかな?(笑)(ごめんなさい)

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