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エネルギー源としての「お前、楽しそうで良いよな」。

無事自宅へ戻ってきた。今回は福岡から広島、そして大阪と三都市で多くの方と会い話を聴いて、多くを学んだ。膝を突き合わせて対話する大事さを改めて知った。このような時間をいただけるのが本当にありがたいし、そのための努力を更に重ねていかなければならないのだと強く感じた。

よく「お前(の仕事)、楽しそうで良いよな」と言われる。これは良い意味悪い意味の両面あると自分自身も受け止めている。レゴ®シリアスプレイ®とデザインシンキングを駆使しての「超拡散ブレスト」が、僕だけでなく外から見ている方にとっても楽しそうに見えるのだと自覚をしている。

仕事が楽しいかどうか。ここは議論の境目でもある。楽しい仕事を行なっているのか、それとも仕事を楽しく行なっているのか。僕の場合は明らかに後者だ。仕事が楽しくない、と感じること自体が少ない。常に目の前にある仕事を好きになる。だから楽しそうに見えているのかもしれない。

自分がやりたい仕事に就くか、もしくは行なっている仕事をやりたいことに変えていくのか。どちらかしかないと僕は思っている。もし、やりたくない仕事が目の前にあるのならば、今すぐやりたい仕事なのだと考えてみればいい。それだけで楽しい仕事に変えていけるのではないだろうか。

今「お前、楽しそうで良いよな」は、叱咤激励としても僕の仕事のエネルギー源になっている。僕が楽しく仕事をしている様をもっと見せていくことでもっと多くの方にその楽しさが伝わればと考えている。立ち止まっている時間が勿体ない。駅弁のように楽しさテンコ盛りでいこうと思う。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP