スキップしてメイン コンテンツに移動

フォーラム二日目の夜。

学びとはまさに温故知新。古きを尋ね、新しきを知る。そんな多くの学びを感じる二日間だった。今、福岡でとある経営者フォーラムに参加させていただいているが、一分一秒に知識を得られる感覚がある。僕は何者でもないしがない人間なので、このような場が本当にありがたいと感じる。

それ以上に僕のこれだけの時間をフリーにしてくれるうちのメンバーには感謝しか無い。それほどワーカホリックでもないと自負しているが、休暇もほどほどに取らなければならないこの時代。働きたくてウズウズしているのに制限されるという、昨日聴いたセミナーの言葉を思い出した。

そもそも働くとは何なのだ。実に考えさせられる。僕自身は「人の役に立つ」という観点から入っていく。とは言え、人それぞれ思いも考え方も違う。そうなるとどのように合意していくかが大事になってくるのだろう。今もそんな悩みを抱えながら、日々仕事をしている気すらしている。

さて、このようなセミナーの際の基本は、iPadの「NOTABILITY」というアプリでざっと下書きしてうえでその後ノートに自分の解釈を足して転記する。聴いた100%すべてが脳に蓄積されるわけでは決してないが、時間をかけて二度書くことによって何かの知識を得たような感覚になるのだ。

残念ながら僕はあまり勉強が好きではない。できれば学ばずとも知識を手に入れたいがそんなことが可能なわけないのだ。常に学び続ける日々。課題は、学んだ知識をどこで活かすのか、だ。失敗することに妙に臆病な気質が根深く残っていて、なかなか足が前に出ないというケースも多々。

このフォーラムでは多くのご縁もいただきながらあとまだ一日(厳密には半日か)学ぶ機会がある。面白いお仕事の話もあり身が引き締まってくる。学習して、知識を得て、そして実践する。お手本のような方々の熱い会話を聴くだけで、この会に参加している意義を感じさせられるのだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

未来のウルトラ。

久々のブログである。なかなかどうして、何を書こうかと悩んでいる自分がいた。もうひとつは #コールリーダーウダウダ の存在が大きい。ここで毎週セレッソ大阪のことを話しているからかもしれない。なんだかんだでかれこれ八十回を超えてきた。 実に多くの方にも聴いてもらえていることに満足してしまっている自分もいたりして、少し戸惑いがあるのも事実だ。これを皮切りに、他のサポーターが続々とTwitter Spaceを始めてくれていることこそが、嬉しい気持ちに更に拍車をかけていく。 逆に、このような年齢になってなお、このような表舞台に立ってよいのかとも思ってしまう。若いサポーターの方々がもっと前面に出てくる世界を期待しているのだが、話を聞くたびにまだまだ古参サポーターがいて成り立つ世界だなとも感じる。 最近のスタジアムを見ていても、応援、チャント、という観点ではチームはまとまっていると見えるものの、チームのサポートはそれだけでは無い。そこにはフラッグもあり、チームや選手に対する、ゲーフラや大小様々な横断幕も存在するのだ。 例えばゴール裏の横断幕ひとつにしても、個々人がただ貼るだけではなく、全体のコーディネートも考慮して配置を考えるなどを行ってきたが、今はどのように貼っているのだろうか。場所の取り合いや奪い合いは起こっていないだろうか、など。 そんな話し合いにも、積極的に若い方々が参画できているのだろうか、とかが頭の中を駆け巡っている。先日もTwitterに書いたが、小学生たちが、ウルトラを目指したいと思う世界に、ゴール裏がなっているのか、なんてことをつい思ってしまう。 来週の今頃には、歓喜のなかに僕はいるのだと思う。その輪には未来のウルトラたちはいるだろうか。あの頃のように次の世代へとつなげられているか。柏レイソル戦の試合後、当時の小学生たちに会った。とても立派なウルトラになっている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「世界のいまを伝えたい」を読んで。

昨日クロアチア料理の「Dobro」に行った話を書いたが、その際、僕らがクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに対して支援をしていたことなどについてスタッフさんと少し話をした。写真で見るクロアチアの風景を見て、様々起こった出来事などを思い出したりした。 それにしても僕は幸せ者である。前述のボランティアを通じて多くの素晴らしい方と巡り合うことができた。それなのに中々恩返しができていないのも事実であり、自分自身を恥ずかしく思うときもある。そんな毎日ではあるが少しでもお役に立っていきたいと考えている。 そんななか、ようやくと言っていいくらいではある(本当にごめんなさい)のだがこの本を読んだ。フォトジャーナリストでアミーゴの久保田弘信さんと出会ったのはちょうど10年前(虎舞竜ではなく)のコソボ共和国大使館によるパーティの二次会が行なわれた居酒屋だった。 今でも覚えている。翌日健康診断を控えていた僕はご飯も酒も取れないなかこの二次会に参加し、そこで久保田さんと初めてお会いした。この本にも書かれている通り、戦場で生きる方々の生活を映し出している様を目の当たりにし、感動以上の感情が見つからなかったのだ。 その後も講演会や上映会、自宅などにも招待いただいたりして親交を深めていくたびに、「いやあ本当に凄い人なんだな」という気持ちばかりが大きくなっていった。また、海外で撮られた写真をいただいたりと感謝しても足りないくらいのものをいつも貰ってきた気がする。 「世界のいまを伝えたい」を読了した今、改めて久保田弘信さんという人物の素晴らしさに魅了されると共に、いつも仲良くしてくださっていることに嬉しい気持ちでいっぱいになってくる。最近はなかなか都合がつかず会えていないが、とても近くにいる、そんな気持ちだ。 書籍の中身については他に譲るのだが、”フォトジャーナリスト久保田弘信”という人物像がこの本の中で余すところなく描かれていて、実に人間味が溢れるものであることだけはどうしても言っておきたい。なぜそこへ行くのか、なぜそれを伝えるのか。まさに心を震えさせる。 アフガニスタン、イラク、シリア、そして。その中で生きていくことの困難さと儚さ。苦労されている難民の方々。愛くるしい笑顔を見せる子どもたち。サラエボで見たあの戦争の爪痕を思い出してしまった。多くの方にこの本を手にとって...