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新年。

激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

【対談】編集長がオーナーに聞いてみた <その1>。

嬉しい出来事は突然やってくるものだ。皆さんは「セレサポ企画部」というコミュニティをご存知だろうか。そのセレサポ企画部の中核であり「美学生図鑑」編集長を務めておられる辻村さんからメンションをいただいたことにより、多くのことを思い出すというハッピーが訪れたのだった。

そんな経緯から以前こちらでも書かせていただいた「サポーター・アイデンティティ  ~We will always be here,ever~」同様に、今回は大阪スポーツカンファレンスの盛江代表と轟さんが企画した、辻村さんと僕との対談(良いこと言っいてると褒められた)を4回に渡ってシェアしていきたい。

(全て当時書き起こしていただいたママ)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

■はじめに
大阪スポーツカンファレンス代表の盛江がある日、何気なくTwitterをしていたら、今年の2月に大阪スポーツカンファレンスが開催させていただいた、伊庭雅浩さんの講演会のイベントレポートをリツイートしてくだった方がいらっしゃいました。

その方は、今大学生の間で話題の美男美女大学生の写真&インタビューサイト「美学生図鑑」の編集長を務めている”つじちゃん”こと、辻村真依子さん。

辻村さんはセレッソ大阪のサポーターで、高校時代はホーム・アウェイ関わらずほとんどの試合を現地に駆けつけて応援していました。

2009年にはセレッソ大阪のホームゲームで大型ビジョンの映像中継カメラマンという大役を務め、少し前にはフットボールWebマガジンQolyのインタビュー記事にも取りあげられたこともあります。

そんな辻村さんがサッカーショップ蹴球堂オーナーの伊庭さんの講演会の内容に感銘し、伊庭さんに会ってみたいとおっしゃってるではありませんか。

伊庭さんと辻村さんが対談するとどうなるのか?
なにより自分自身が楽しみだ、と。

代表の盛江は、あまりなにも考えず対談をセッティングします。誰もが何をするのかわからないまま当日を迎え、すったもんだがありながら、対談はスタートしたのでした。

■伊庭さんと、辻村さん

盛江:
辻村さんが「サポーター・アイデンティティ」のイベントレポートを読んで、伊庭さんに会いたいとツイッターで言ってくださっていて。

美学生図鑑の編集長、そしてカメラマンという場で活躍している辻村さんと伊庭さんがお会いしたらどんな話題になるのか、という興味から今回の対談を企画しました。

伊庭:
辻村さんのことは昔からなんとなく知ってるんですよ。たぶん、mixiとかでつながっていたんじゃないかなぁ。

でも、喋ったこともないし、こうやって面と向かったこともないんじゃないかなぁ。なので、こういう機会になって良かったなぁと思っています。

辻村:
そうですね。

伊庭:
お互いの存在を認識し始めたのは、辻村さんが高校生くらいの頃ですよね。 なんとなく、頑張っているなぁと思って見ていました。

辻村さんは何がきっかけでセレッソを好きになったんですか?

辻村:
最初のきかっけは大久保嘉人選手(現川崎フロンターレ)です。アテネ五輪の頃、日本代表の試合を観てなんとなくカッコイイなぁと思って。

ほんとにミーハーな感じで好きになりましたね。

それで所属チームを見たらセレッソだったんで、生の大久保選手観に行けるやん!と思ってスタジアムに足を運んで。

今でいうセレ女みたいなもんでしょうか。

伊庭:
ああ、そうなんですね。

辻村:
それで、ちょいちょい試合を観に行くようになって。

大久保選手は途中でマジョルカに移籍しましたけど、それからもセレッソの試合はたまに観に行っていました。

2005年、J1優勝をあと一歩で逃したあの最後の試合(FC東京戦)で、初めてゴール裏で立って応援をして、目の前で優勝を逃して。

そのときに
「(この試合に限らず)どこかで一点取れていたら、一点防げていたら、優勝できたのに」
という後悔が押し寄せてきたんですよね。

で、一点くらいならサポーターの力でどうにかできたんじゃないかなという想いがすごくあって。

当時、自分は内部事情はまったく知らなかったんですけど、セレッソのスタジアムの雰囲気とか応援を観ていて、物足りなさというか、まだまだやれるぞって気がしていたんです。

で、何か自分でアクションを起こしたいと思って、翌年に同じ志を持った人たちと一緒に新しいサポーターグループを立ち上げました。

その頃はまだI4(長居スタジアムで昔から熱狂的サポーターが集まるゲート)にはいなかったんですけど、ちょいちょいI4の人とも関わりを持ちながら、アウェイの試合とかも行くようになったりして、どんどん熱くなっていきましたね。

伊庭:
それからずっと、スタジアムに行っていたんですか?

辻村:
平日のアウェイとかは行けない時もありましたけど、高校時代はほとんど全試合スタジアムに駆けつけて応援してましたね。

盛江:
I4の人達と話すようになったきっかけって、向こうから来たんですか?

辻村:
2006年にI4に太鼓を叩く人がいなくなった時期があって、その時に私が所属していたサポーターグループに太鼓をやっている人がいて。

で、こっち来いよってコールリーダーの方に言われて一緒にI4の方に行きました。

その後、I4の人たちのミーティングに参加する機会があって、話を聞いてみたらすごく熱い人達やなぁって感じて。 自分の熱い思いも伝えるようになって、そのうちに一緒に活動することになっていきました。

伊庭:
素晴らしいですね。

次に続く。

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