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そもそもそのデータは一番正しいのか。

年末年始が長すぎるとは口が裂けても言わない。まさに多くのワークをこなす休暇期間でもある。一年を振り返るときでもあるこの睦月。サッカーショップ蹴球堂の決算処理を行なうのが毎年の定番でもある。だらしない僕の元に貯まっている数々のデータを元に、ドンドンと入力していく。

スタッフや顧問税理士先生との情報共有には、お馴染みのGoogleドライブを利用している。今更ながらGoogleドライブを簡単に説明しておく。これは、ワープロや表計算、プレゼンテーションのデータを作成したり、作成したデータをチャットしながら共同でメンテナンスできたりする。

我が蹴球堂では10年ほど前から使い続けてきているのだが、まだまだこのGoogleドライブのすべてを使いこなせているわけではない。特にコラボレーションという部分においてはなかなか実用に至っていないのが本音だ。少しずつでもGoogleドライブに寄せていきたいと真剣に考えている。

もともと、Googleサービスと出会い、そこから僕の心の中に宿っていた「Excel狩り」という野望から生まれた目的でもある。ファイルをメールに添付する、チャットアプリなどでファイルを共有する時代から、データそのものを複数の手によって入力しあうというスタイルに変えていく時代。

友達同士のデータのやりとりならば以前の方法でも問題無い(とは言えセキュリティ面を重視するとあながち無いわけではない)のだが、ことビジネスともなると質量とともに求められるのが「情報の完全性」だ。コピーが繰り返されることによってその完全性は精度を落としていくのだ。

検索し、そのデータがいつ誰によって、どれくらい修正されたのかを調べる。そもそもそのデータは一番正しいのか、を見極める必要がある。そんな無駄に近い作業を一体いつまで続けるのだろうか、になかなか気付けない。少なくとも一日の検索時間を20分は減らせるのではと僕は思う。

これは必ずしもExcelの全てを否定しているわけでもなく、複製によるデータの完全性の欠如について問うているのだ。これが「当たり前」の世界なのだと言っているIT鎖国状態の脳みそを活性化させていくのも僕の仕事。そう意識していく2020年にしたいとも思う。まずは自分から変わる。

さて肝心の決算処理だ。大半は完了しているのだがこの先も2月末くらいまではずるずると続いていく。毎年こんな状況にも関わらず的確に処理を実施していただける顧問税理士先生には、感謝しきれないほどの思いがちょちょぎれる。だが決して僕はヨイショ芸人ではない。これは正しい。

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