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去年の冬、運命という名の学び。

どうも幕末明治好きは”こじつけ”が多い。奇遇を運命だと勘違いするきらいもある(僕だけかもしれない)。特に東京へ来てからというもの若い頃よりも余計に感じられるようになったと感じている。上手く勘違いできるよう、必要な知識を常にアップデートしておかなければならないのだ。

そんな幕末明治好きの僕としては当然のことながら、ファンが集まるグループにも参加している。先日、そのグループの中で少々珍しい光景を見た。多くの方が1991年に公開された映画「福沢諭吉」の感想を書かれているのだ。これは一体どういうことなのだろうかと思考を巡らせてしまう。

実のところ僕も昨年末にこの映画を見た。理由は何故だか分からないがどうしても見たくなってしまいAmazonプライムビデオのリモコンにその名前を告げて検索を行なったのだった。その映像はなんてことのない歴史群像ドラマ。それほど大きくインスパイアされることは最後まで無かった。

年の瀬に大分県と東京の洗足池に行く機会があった。福沢諭吉先生と言えば大分中津藩。しかし生まれもは大阪堂島浜。生誕地が大阪なだけでも共感を持つ。更に洗足池には咸臨丸での渡米同行や「痩我慢の説」でもつながる勝海舟先生のお墓。何という偶然なのだろうかと僕はほくそ笑む。

もう一度問うてみる。どうして今、「福沢諭吉」に手を伸ばす方が多くなったのだろうか。これしきの僕の知識ではどこまで行っても答えを見出だせるはずがないことを自分でも分かっている。だが、ただひとつだけ言えるのは「学び続ける大事さ」であると、DNAが語っている気がする。

幕末明治を中心とした歴史から学び続ける理由。それは、日本人としての尊さとか日本人らしさとか、この国の素晴らしさ。運命と呼べるようなものでは全く無いのだが、この短い老い先ちょっとずつでも自分自身の糧にするため、このような学びが続くのだろうなと寒空の下で僕は思った。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※どちらかと言うと福沢諭吉先生よりも勝海舟先生に近いかな、僕。

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